イザイホーという秘祭は、戦後3回行われた。 その1回目の模様をレポートした新聞記事 (琉球新報、'53年12 月3日)に興味深いくだりがある。 3日目、朱リィキー(神女就任の印付け)を受ける ナンチュ(神女)たちは、紙でつくった赤・白・黄色の イザイ花を頭に挿すが、色の由来が記されていた。 〜赤は太陽、白は月、黄は地の神を象徴したものである。 この日の晴れの場に参加する男神たちも、 イザイ花のひとつを左耳にはさんでいる。〜 男の神役がイザイ花を…という記録は、とても貴重。 もちろん「日月星信仰」を思わせる記録 が、この戦後まで残っていたことも。 '66年、'78年のイザイホーでは、神歌に 日神や月神は登場したが、 地の神(星神)は消えていた。 また王府時代には、国王自身が星に例えられた。 久高島の海で太陽を見る。いまは那覇空港行きの飛行機も視界に。 日月星信仰は斎場御嶽の奥宮である ナーワンダーグスクに見られるが、 とりわけ古代に星信仰を奉じた一族について、 『消された星信仰』(近藤雅和氏著、'95年、渓流社) は、こう著す。 〜星信仰は物部系の信仰だった〜 〜それは大和朝廷成立以前の古代部族、すなわち ホアカリを祖とする物部系が持っていた信仰であった〜 この南城市の和名集落に在ったと、私が考える 和邇氏も、物部氏と縁深い渡来氏族である。 いっぽう、イザイホーが秘めていた龍蛇神は、 物部氏はじめ世界の古代部族が 祖神として信仰した。たとえば、 タイの7つの首の蛇神・ナーガ、 台湾高砂族の百歩蛇、 そして中国の人面蛇身の伏羲と女媧…。 沖縄では、蒲葵(クバ)が龍蛇神に見立てられ、 猿田彦を祖神とする和邇氏も、龍蛇神を崇めていた。 つまり、イザイホーとは 物部氏と和邇氏が興した祭りなのである。 こちら、斎場御嶽の真下、 海沿いにある拝所・マルチャ龍宮。 久高島のフシマ(火島、龍宮)に向いている。 「マルチャ」とは、沖縄方言で「マナ板」のことだが、 語り部は「丸子の」という意味もあると言う。 「丸子」はワニと読める、和邇の別称である。 消えた星神とは猿田彦のことだと、語り部は言う。 外間殿など元家の神屋にある賽銭箱には、 おしなべて「百甕」と明記されているが、 それは天津甕星(あまつみかぼし)を指していると。 またの名は、香香背男(かかせお)。 『日本書紀』で「天に悪神あり」 と名指しされた、まつろわぬ神…。 この神名の由来を、件の近藤氏が紐解いている。 「甕」とは星を信仰する 先住系の民にとっての「愛すべき星」。また、 「香香」とは「部族の統領」という誉め言葉だと。 地主神・猿田彦大神のイメージと一致する。 イザイホーの祭りから姿は消えても、 島人は「偉大なる星神」を守り抜いてきたのだろう。
by utoutou
| 2015-01-12 21:55
| イザイホー
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