魚根家(イン二ヤー)の下駄には、日付があった。 一九六七年 十一月十三日 半世紀も前の話だ。ただ、 比嘉康雄氏のイン二ヤー拝所図(1979年調べ)には 描かれていないので、後からこちらに移されたようだ。 下駄ははたして、猿田彦にちなんで奉納されたのか。 いや、私はそう確信しているのだが…。 系図上、猿田彦は綿津見神(海の神)の子であること、 また安曇氏の祖神であることは、既に何度か書いた。 いっぽう沖縄では、海の神を「龍宮神」と呼ぶのだから、 竜宮神(猿田彦)は、イン二ヤーの始祖である。 さらに、古来、久高島で受け継がれた ニライ大主(うふぬし)という神役も、 イン二ヤーの女が継ぐとという決まりがあった。 ニライ大主について、 比嘉康雄氏は次のような口伝を遺している。 ・ニライ大主は島の最高神である ・聖地ニラーハラー(ニライカナイ)の主である ・しかし、結婚できない神役だったため途絶した ・正月にはニライ大主が先頭に立ち、行進をした 最後の口伝は、とても貴重な情報だ。 正月神事の先頭に立つ… その神を、猿田彦と言わずして何と言おうか。 「みちひらき」の神とは、まさに猿田彦のことであった。 ↓ ニライカナイの海(2枚とも昨年の旧正月に撮影)。 ニラーハラー(ニライカナイ)とは 「東方の聖地」のことだが、「始源の地」という意味も。 つまりニライ大主とは「渡来神・猿田彦」のことでもある。 ![]() ![]() 旧正月の行列神事。先頭を行くニライ大主の後には、 ソールイガナシーや根人(ともに男性神役)や神女が、 そしてまた島人たちもついて外間殿まで歩いたという。 〜先頭のニラー大主の親戚の人がビービタトゥという笛を 吹き、行列して外間殿にお迎えし(中略)ニライ大主は 外間の中央に座した。それから正月の行事が始まった〜 ※比嘉康雄氏著『神々の原郷 久高島』より 正月行列の到着地・外間殿。(やはり去年の旧正月に撮影)。 今年は来たる2月19日。三線と太鼓で新年を寿ぐ風景が見られる。 ![]() 男性が健康を祈願、神人が神酒を振る舞う酌とぅい(酌とり)。 ※写真は南城市観光協会WEBサイトより拝借。 ![]() 外間殿に掛かっている七福神の掛け軸。 なぜ久高島に七福神?と思っていたが、 寿老人(中左)は白鬚明神とも呼ばれる。 つまり猿田彦のこと。ようやくその意図が飲み込めた思い…。 ![]()
by utoutou
| 2015-02-07 17:46
| 久高島
|
Trackback
|
Comments(0)
|
![]() by utoutou
カテゴリ
全体 ミントングスク 久高島 イザイホー 玉城 語り部 城(ぐすく) 天孫氏 御嶽 スサノオ 出雲 神社 琉球の神々 伊勢 洞穴(ガマ) 龍蛇神 ヤマトタケル お知らせ 天女伝説 斎場御嶽 ナーワンダーグスク 石垣島 九頭龍 瀬織津姫 琉球の玉 舜天 琉球王 グスク・御嶽 最終章 未分類 最新の記事
以前の記事
2023年 09月 2023年 08月 2023年 07月 2023年 06月 2023年 05月 2023年 04月 2023年 03月 2023年 02月 2023年 01月 2022年 12月 more... 画像一覧
最新のコメント
最新のトラックバック
検索
記事ランキング
ブログパーツ
フォロー中のブログ
ブログジャンル
外部リンク
ファン
|
ファン申請 |
||