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猿田彦の下駄 5⃣ 番外編

久高島からスピンアウトして、一昨日、
武蔵国一之宮・小野神社(東京都多摩市)に参拝。
うららかな春の兆しが感じられた。

沖縄では緋寒桜が満開と聞くが、
こちら関東も、朱塗りの拝殿が春陽に映えて眩しい。
ちなみに祭神は、瀬織津比咩、天之下春命。
(※拝殿横の南から撮影)
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その場で何げなく振り向き、棕櫚(シュロ)の木を発見。
ぐるり境内を見回すと、その数ざっと10本は下らない。
久高島の聖樹・蒲葵(クバ)を思い起こさせる南国の趣き。
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いっぽう、反対側の拝殿横には椿の花がポツリ。
北側のせいか未だ冬の佇まいだが、椿大神社(三重県)を思う。
椿大神社は猿田彦大神を祀り、猿田彦大本営を名乗る。
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平日は社務所が無人で、境内には参拝客もまばら。
鳥居は西面。十六菊紋を戴く隋身門の先が拝殿。
神社のすぐ北を多摩川が流れる。
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境内を一周した後、
聖蹟桜ヶ丘駅(京王線)へ戻るべく南門を出ると、
隣接する児童館の道端にふたつの小祠を見つけた。
いつもは駐車場に車を停めるので、気づかなかった。
左が地蔵尊、右が庚申塔。
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こちらが地蔵尊。児童館から子どもたちの声が聞こえる。
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↓ 右の庚申塔に説明板があった。

〜「庚申塔の由来」
この庚申塔は、庚申信仰に由来して
江戸時代の中頃の寛延四年
(一七五一年)に造立された石碑です。
村へ悪疫や災難が入ってこないようにとの願いを込めて、
旧一ノ宮一番地先(現一ノ宮二八番地九号先)に
建てられていたが、都道府中四谷橋関連道路
の新設により当地にお遷し申し上げお祀りする。
(中略)平成十二年二月吉日 小野神社役員 地域有志一同〜
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261年前に、村の守護神として建てられた
という庚申塔。そして地蔵尊。
ペアで寄り添う配置に、ふと思う。


小野神社の祭神・天之下春命の奥深く、
もしや違う神が、隠されてはいないか。
瀬織津姫と天之下春命が一対神とは思えない。


小野神社という名前の由来は、
この地に武蔵秩父国造・小野利春が
着任したことによるという。
武蔵秩父国造の祖神が天之下春命だ。


いっぽう、地元には
「昔はニギハヤヒを祀っていた」
との秘伝があるらしいが、
至極まっとうな口伝だと思う。


『先代旧事本紀』の「国造本紀」に、
ニギハヤヒが大和入りした際、高天原から
派遣された供奉衆に、天之下春命の名がある。
天之下春命が付き従ったのがニギハヤヒ。
瀬織津姫の一対神とされる神である。


思わぬところで、
久高島に繫がる神系統に出会ったものだ。
小野氏は、古代豪族・和邇氏の有力支流。
ニギハヤヒとは猿田彦の神魂を継いだ神である。



by utoutou | 2015-02-14 18:25 | 久高島 | Trackback | Comments(0)
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