富士山本宮浅間大社の社紋「丸に棕櫚(しゅろ)の葉」。 本殿の賽銭箱には、その棕櫚紋が描かれていた。 ![]() 古代の龍蛇信仰のもと、 幹が蛇に似ている蒲葵(クバ)は聖樹とされ、そのため 沖縄には、クバやクボーといった名のつく御嶽が多い。 また御嶽の威部(イビ)には、蒲葵が立っている ことも多いが、蒲葵が育ち難い本土では、 蛇に見立てられる樹木の一番手が棕櫚だった。 ↓ 賽銭箱の画像を拡大してみた。 ![]() 棕櫚紋を社紋とするこの浅間大社の大宮司を 古来、世襲で務めたのは富士氏だったと、 大社近くの資料館「長屋門・歴史の館」で聞いた。 和邇一族が、滋賀県からここに進出した のは、801年のことだと。思えば、 富士山が大噴火した800年の翌年のことだ。 和邇氏は、蝦夷退治で勇名を馳せた 将軍・坂上田村麻呂に従い、この地へ進出した。 和邇氏十七代目・豊麿が、富士郡の郡長に任命 されたのが、浅間神社の神主を命ぜられるきっかけで、 このとき富士氏に改名した和邇氏が、 富士大宮司家の始祖 となった。 明治になって、大宮司の世襲は途切れた が、棕櫚の社紋は残った。 その棕櫚は「歴史の館」に展示されている 「富士浅間曼荼羅図」(室町時代、複製)にも描かれる。 曼荼羅図の中央、人々が禊ぎをしている湧玉池の左横方向。 本殿脇という位置といい、描かれ方といい、 棕櫚紋を強く意識した構図のように見える。 ![]() ↓ こちら同じ室町時代の「絹本着色富士曼荼羅図」。 浅間大社が冨士参詣のPRのために発注したとされる。 霊峰・富士山頂を目指す多くの参詣社が描かれる。 山頂の右に浮かぶ「日輪」、左の「月輪」よりも、 遥かに高く描かれた富士山に、篤い信仰の眼差しを感じる。 ![]() さて、くだんの浅間大社大宮司家に 最古の「和邇系図」が伝えられていると、太田亮氏 は『姓氏家系大辞典』に記している。 いっぽう、この系図は既に散逸したとも言われる。 が、和邇氏である以上、古来、大海を股にかけた 日本最古の海人族であったことだけは間違いない。 その和邇氏が、日本最高の霊山の司祭であったことは、 決して偶然ではないと思う。
by utoutou
| 2015-02-23 01:51
| 神社
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