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富士山本宮浅間大社 2⃣ 富士氏

富士山本宮浅間大社の社紋「丸に棕櫚(しゅろ)の葉」。
本殿の賽銭箱には、その棕櫚紋が描かれていた。
富士山本宮浅間大社 2⃣ 富士氏_a0300530_10162771.jpg


古代の龍蛇信仰のもと、
幹が蛇に似ている蒲葵(クバ)は聖樹とされ、そのため
沖縄には、クバやクボーといった名のつく御嶽が多い。

また御嶽の威部(イビ)には、蒲葵が立っている
ことも多いが、蒲葵が育ち難い本土では、
蛇に見立てられる樹木の一番手が棕櫚だった。
↓ 賽銭箱の画像を拡大してみた。
富士山本宮浅間大社 2⃣ 富士氏_a0300530_10132360.png



棕櫚紋を社紋とするこの浅間大社の大宮司を
古来、世襲で務めたのは富士氏だったと、
大社近くの資料館「長屋門・歴史の館」で聞いた。

和邇一族が、滋賀県からここに進出した
のは、801年のことだと。思えば、
富士山が大噴火した800年の翌年のことだ。

和邇氏は、蝦夷退治で勇名を馳せた
将軍・坂上田村麻呂に従い、この地へ進出した。

和邇氏十七代目・豊麿が、富士郡の郡長に任命
されたのが、浅間神社の神主を命ぜられるきっかけで、
このとき富士氏に改名した和邇氏が、
富士大宮司家の始祖 となった。
明治になって、大宮司の世襲は途切れた
が、棕櫚の社紋は残った。


その棕櫚は「歴史の館」に展示されている
「富士浅間曼荼羅図」(室町時代、複製)にも描かれる。
曼荼羅図の中央、人々が禊ぎをしている湧玉池の左横方向。

本殿脇という位置といい、描かれ方といい、
棕櫚紋を強く意識した構図のように見える。
富士山本宮浅間大社 2⃣ 富士氏_a0300530_10183467.jpg



↓ こちら同じ室町時代の「絹本着色富士曼荼羅図」。
浅間大社が冨士参詣のPRのために発注したとされる。
霊峰・富士山頂を目指す多くの参詣社が描かれる。
山頂の右に浮かぶ「日輪」、左の「月輪」よりも、
遥かに高く描かれた富士山に、篤い信仰の眼差しを感じる。
富士山本宮浅間大社 2⃣ 富士氏_a0300530_10213080.png


さて、くだんの浅間大社大宮司家に
最古の「和邇系図」が伝えられていると、太田亮氏
は『姓氏家系大辞典』に記している。
いっぽう、この系図は既に散逸したとも言われる。

が、和邇氏である以上、古来、大海を股にかけた
日本最古の海人族であったことだけは間違いない。
その和邇氏が、日本最高の霊山の司祭であったことは、
決して偶然ではないと思う。

  
by utoutou | 2015-02-23 01:51 | 神社 | Trackback | Comments(0)
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