「祭神は赫夜姫(かぐやひめ)」と知ったいまに なって思い返すのが、浅間大社の末社・水屋神社。 湧玉池(わくたまいけ)のほとりに鎮座している。 富士山の雪解け水が溶岩層を通って湧き出る水は、 浅間大神の水徳とされ、長く霊水として信仰された。 水屋神社を覗くと、まさに湧水の源だった。 神社の前には、空のペットボトルが並ぶ。 水屋神社で目についたのは、竹のあしらい。 湧水は左手、石塀に渡された長い竹筒から出る。 竹筒に何ヶ所も付いた細い竹の蛇口から、 間断なく、子気味よく、ふんだんに流れ出ていた。 竹は古来、蛇や龍を思わせる植物とされる。 沖縄のアマミキヨゆかりの地・玉城でも、 古来、竹林は草分家の印とされたという。 古代人が神と崇めた蛇に似ている蒲葵の木は、 いちばんの聖樹とされたが、その節目が蛇の 脱皮を連想させるということで、竹もまた、 死と再生、転生を象徴する神と見なされた。 つまり、『竹取物語』のかぐや姫も、 水神として、また龍神として、描かれたと思う。 さて、湧玉池でもう1ヶ所思い出される のは、水屋神社の参道に立つこの藤棚。 春になれば、藤の花が瀧の瀬のように咲き誇るはず。 藤は富士にゆかりの花に違いないが、 古代、藤も、竹と同様に蛇に見立てられた。 籠神社の藤祭、そして諏訪神社の諏訪明神と、 藤は、古伝の随所に登場する。 茎蔓の強靭さが蛇のようだというのが、その理由。 つくづくといま、思う。 がくや姫は縄文の女神として描かれていたと。 また、その後、『竹取物語』をリメイクして 『富士山縁起』を残したのは、 この地の先住民族の流れにある人々だろうと。 さて、 『竹取物語』が世に出たのは平安時代だが、 皇祖神として天照大神が誕生したのは、 天武天皇、そして持統天皇の時代だった。 古事記の成立は712年、日本書紀は720年。 伊勢の土着の女神である瀬織津姫を、内宮の別宮に 追いやるかたちで、天照大神を皇祖神として祀った。 「その後、天変地異が続いたのは瀬織津姫の怒り」 「天武は、天変地異が続く失意のなかで没した」と、 瀬織津姫研究の第一人者・菊池典明氏は、 その著書『エミシの国の女神〜 早池峰-遠野郷の母神=瀬織津姫の物語』で著した。 天変地異のひとつに富士山の噴火があった。 浅間神社の社殿が造営されたのは、801年。 当時、この地に移った和邇氏の一族が、 やがて大宮司家となり、富士氏を名乗ることになる。 なぜ富士氏が、大宮司の要職に就いたのか。 それは…と、思うのだ。 封殺された女神を、富士山の聖域に祀りながら、 呪詛を解く職には、その血を引く末裔 でなければ務まらなかったからではないか。 つまり、かぐや姫のモデルは和邇氏の姫だろうと。 かぐや姫は、語り部の言うように 「野椎神(のずちのかみ)」とも呼ばれる鹿屋野姫。 野を司る種なる女神をさしている。 話は飛ぶが、 久高島に「五穀の種が入った壷」が漂着する伝説 が残っている。その壷には、 永遠の生命を約束する種も入っていた。 クバ、ススキ、アザカの種。 『竹取物語』で帝からの求婚を断ったかぐや姫が、 代わりに差し出したのも「不死の薬壷」だった。 その薬とは、神女が醸す神酒だったのではないか。 上古より稲作と醸造の技術を携えて渡来した一族。 かぐや姫=鹿屋野姫=瀬織津姫とは 「死と再生=永遠の魂」を司る種なる女神。 不死山に祀られる必然があったと思う。
by utoutou
| 2015-03-13 00:37
| 神社
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