人気ブログランキング | 話題のタグを見る

稲作と龍神 5⃣ 稲魂の神々

〜大(うふ)ま積(ぢ)ぬんいしてぃ〜
『天親田のクウェーナ』の最後の歌詞。
意味は、
「刈り取った稲穂を大きな山のように積む」

それはつまり、
大山積神(おおやまずみのかみ=大山祇神)
の由来なのではないかと、私は思った。

それで思い出すことがあると、語り部は言った。
「百名玉城の神女がよく言ってました。
 受水走水(うきんじゅはいんじゅ)で拝むときは、
 まず走水で拝んで身を清めて、それから、
 受水の稲魂(いなだま)の霊力(しじ)を受ける
 のが正しい順番だよと」
「稲魂?」
「ヤマトで言えば、倉稲魂命(うかのみたまのみこと)、
 大山積神と同じ穀物の神様のことです」

「てことは。稲荷神社のお稲荷さんとも同じ?」
「はい、保食神(うけもちのかみ)でもある」
「ということは、豊受大神 」
「神名に食物を意味する“受”の字が入っていますね」
「受水。確かに…」



受水走水(うきんじゅはいんじゅ)は南城市
玉城百名の農道から入った突き当たりにある。
稲作と龍神 5⃣ 稲魂の神々_a0300530_5182785.jpg



豊受大神とは伊勢神宮外宮の祀られる
食物・穀物を司る祭神。
そして、元伊勢・籠神社(真名井神社)の祭神。

かねてから、
「稲穂と鶴の伝説」のある伊勢(伊雑宮)、
「カゴメの歌(鶴と亀)」のある京都丹後(籠神社)、
そしてこちら、やはり「稲穂と鶴の伝説」
のある受水走水には、
稲作渡来海人族の潮流を思っていたが、
神名にも、それが窺えるとは新発見だ。

ただし、そう驚きはしない。
律令国家の成立とともに神社が各地にでき、
祭祀制度も整備される以前、
神々とは、火の神、日の神、山の神、
川の神、田の神といった自然神だったはずで、
そのひとつが稲魂の神・稲倉の神だった。

そう考えれば、いや、
そうした神々こそ「天津神」と呼ばれたと思う。



受水走水に立つ説明板には、稲をくわえた鶴が
この地に落ちたのが、受水のはじまり
だと記されているが(時代は14世紀ごろ)、
語り部の口伝では、稲作は
御先(うさち=縄文時代)にすでに始まっていたという。
稲作と龍神 5⃣ 稲魂の神々_a0300530_664794.jpg



祭り以外には、いつ行っても人の気配はなく、
絶え間ない河口の水音に古代を偲ぶことができる。
稲作と龍神 5⃣ 稲魂の神々_a0300530_521235.jpg




受水の拝所。右上の高地から流れ落ちる水は、
左の田んぼ(現在は使われていない)を潤した。
戦後の減反農政で周囲の田んぼはなくなったが、
それまで南城市(古称・東四間切)は水田地帯だった。
稲作と龍神 5⃣ 稲魂の神々_a0300530_5203972.jpg






 



 

 
by utoutou | 2015-03-29 17:38 | 玉城 | Trackback | Comments(0)
名前
URL
削除用パスワード

※このブログはコメント承認制を適用しています。ブログの持ち主が承認するまでコメントは表示されません。

<< 稲作と龍神 6⃣ 三穂津姫 稲作と龍神 4⃣ 新たなる謎解き >>