〜大(うふ)ま積(ぢ)ぬんいしてぃ〜 『天親田のクウェーナ』の最後の歌詞。 意味は、 「刈り取った稲穂を大きな山のように積む」 それはつまり、 大山積神(おおやまずみのかみ=大山祇神) の由来なのではないかと、私は思った。 それで思い出すことがあると、語り部は言った。 「百名玉城の神女がよく言ってました。 受水走水(うきんじゅはいんじゅ)で拝むときは、 まず走水で拝んで身を清めて、それから、 受水の稲魂(いなだま)の霊力(しじ)を受ける のが正しい順番だよと」 「稲魂?」 「ヤマトで言えば、倉稲魂命(うかのみたまのみこと)、 大山積神と同じ穀物の神様のことです」 「てことは。稲荷神社のお稲荷さんとも同じ?」 「はい、保食神(うけもちのかみ)でもある」 「ということは、豊受大神 」 「神名に食物を意味する“受”の字が入っていますね」 「受水。確かに…」 受水走水(うきんじゅはいんじゅ)は南城市 玉城百名の農道から入った突き当たりにある。 ![]() 豊受大神とは伊勢神宮外宮の祀られる 食物・穀物を司る祭神。 そして、元伊勢・籠神社(真名井神社)の祭神。 かねてから、 「稲穂と鶴の伝説」のある伊勢(伊雑宮)、 「カゴメの歌(鶴と亀)」のある京都丹後(籠神社)、 そしてこちら、やはり「稲穂と鶴の伝説」 のある受水走水には、 稲作渡来海人族の潮流を思っていたが、 神名にも、それが窺えるとは新発見だ。 ただし、そう驚きはしない。 律令国家の成立とともに神社が各地にでき、 祭祀制度も整備される以前、 神々とは、火の神、日の神、山の神、 川の神、田の神といった自然神だったはずで、 そのひとつが稲魂の神・稲倉の神だった。 そう考えれば、いや、 そうした神々こそ「天津神」と呼ばれたと思う。 受水走水に立つ説明板には、稲をくわえた鶴が この地に落ちたのが、受水のはじまり だと記されているが(時代は14世紀ごろ)、 語り部の口伝では、稲作は 御先(うさち=縄文時代)にすでに始まっていたという。 ![]() 祭り以外には、いつ行っても人の気配はなく、 絶え間ない河口の水音に古代を偲ぶことができる。 ![]() 受水の拝所。右上の高地から流れ落ちる水は、 左の田んぼ(現在は使われていない)を潤した。 戦後の減反農政で周囲の田んぼはなくなったが、 それまで南城市(古称・東四間切)は水田地帯だった。 ![]()
by utoutou
| 2015-03-29 17:38
| 玉城
|
Trackback
|
Comments(0)
|
![]() by utoutou カテゴリ
全体 ミントングスク 久高島 イザイホー 玉城 語り部 城(ぐすく) 天孫氏 御嶽 スサノオ 出雲 神社 琉球の神々 伊勢 洞穴(ガマ) 龍蛇神 ヤマトタケル お知らせ 天女伝説 斎場御嶽 ナーワンダーグスク 石垣島 九頭龍 瀬織津姫 琉球の玉 舜天 琉球王 グスク・御嶽 最終章 未分類 最新の記事
以前の記事
2025年 07月 2025年 06月 2025年 05月 2025年 04月 2025年 03月 2025年 02月 2025年 01月 2024年 12月 2024年 11月 2024年 10月 more... 画像一覧
最新のコメント
最新のトラックバック
検索
記事ランキング
ブログパーツ
フォロー中のブログ
ブログジャンル
外部リンク
ファン
|
ファン申請 |
||