人気ブログランキング | 話題のタグを見る

稲作と龍神 6⃣ 三穂津姫

沖縄の稲の起源は700年前。
「稲を運んだ鶴」の伝説ではそう語られる。
伝説の舞台・カラウカハ(南城市玉城百名)にも、
受水走水(うきんじゅはいんじゅ)にあったもの
と同じ内容の説明板が立っている。


海岸線と並行する国道331号線から、新原ビーチ
に下りる道路際にある稲作の聖地・カラウカハ。
稲作と龍神 6⃣ 三穂津姫_a0300530_17243060.jpg



[説明板の概要]
〜今から約700年前、中国から
稲穂をくわえた一羽の鶴が飛んできて、
この地に落ち息絶えたが、その稲穂が芽を出した。
早苗はアマミツによって
受水走水の水田(三穂田)に移植され、
琉球最初の稲作が始まった。
別名「天孫氏カー」〜
稲作と龍神 6⃣ 三穂津姫_a0300530_17292967.jpg



「地元の偉人・アマミツ」とは、ミントン門中
の屋号・天祖(アマス)の阿摩美津(あまみつ)。
アマミキヨの直裔という。

その名は田植え歌『天親田のクウェーナ
にも歌われているが、阿摩美津が
稲作の祖としていかに崇敬を受けてきた
かは、この地形にも表れている。


カラウカハから受水走水へはこの舗道を下る。
「親田御願(うぇーだのうがん)」のコースでもある。
稲作と龍神 6⃣ 三穂津姫_a0300530_17145475.jpg


反対の山側にカラウカハと並んで石段がある。
阿摩美津の墓へと登る道。墓には、
共に稲作を始めた屋号・安里(姓は比嘉)
と大前(うふめー、姓は島袋)という
二人の従兄弟も眠っていると伝わる。
稲作と龍神 6⃣ 三穂津姫_a0300530_17165520.jpg


阿摩美津の墓の周辺には、
戦前まで美しい松林があったという。
それは「琉球の三穂の松原」と呼ばれた。

受水走水(うきんじゅはいんじゅ)の
受水下にある三穂田(みーふーだ)
にちなんで、そう命名されたというが、
三穂田の由来はまことに諸説紛々。

1.稲穂が最初に3本生えたから
2.カラウカハ・受水・走水と3つ穂田があるから
3.御穂田とも呼ばれるから
4.3人が協力して穂田を作ったから
5.稲作の起源が3つあるから

このなかで、語り部の聞いた口伝は「5.」。
曰く、稲作技術の渡来は3回繰り返された。
最初は、水の要らない古代米の稲作、
2度目は、鷲が稲穂をくわえてきた稲作、
3度目は、鶴が稲穂をくわえてきた稲作。

カラウカハを、地元では
「御先三穂田(うさちみーふーだ)」とも呼んだ。
御先とは紀元前、上古といった意味だ。
つまり、稲作の起源は700年前よりはるかに古いと。

水のいらない古代米(生苗)を育てた
日巫女の名は三穂津姫という。

出雲・美保神社(過去記事はこちら
の祭神にして『日本書紀』では
事代主の母神、そして、
高天原から稲穂を持って降臨した
皇高産霊命の姫神、大国主の妃神とされる。

そのため御先三穂田から
受水走水にかけての一帯は
「高天原」「高千穂の峯」と秘かに呼ばれた。
ここは天(あま)の字を戴く「天親田」の聖地。
ヤマトの神々の原郷なのだからと。

思えば、国獲りに敗れた事代主が
入水したという故事にちなんだ祭り
「青柴垣神事」(4月7日)で祀る「蝶形の扇」
は、蒲葵の葉を模したものである。






by utoutou | 2015-03-31 16:27 | 玉城 | Trackback | Comments(0)
名前
URL
削除用パスワード

※このブログはコメント承認制を適用しています。ブログの持ち主が承認するまでコメントは表示されません。

<< 稲作と龍神 7⃣ 御稲御倉(み... 稲作と龍神 5⃣ 稲魂の神々 >>