玉城で「7つの首の蛇」伝説を思ったのは、 その前日、久高島で川巡りをしていたからだ。 ↓写真は、久高島西海岸。 漁港の上のベンチのある木陰。 約5km離れた対岸の知念玉城と久高島は、 なながー(七川)と呼ばれる地下水脈で繫がっている。 語り部は、神女のおばあさん方からそう聞いたという。 ![]() 久高島フェリーが発着する安座真港に立つMAP板。 約5㎞離れた東方に久高島が浮かんでいる。 ![]() 周囲8㎞。細長い形をした島。 南側に集落があり、北側には聖地と畑がある。 島は東北に傾斜しており、川(水源)は西側に集中。 うち南の川は生活用水、北の川は禊ぎ用だった。 漁港(王府時代の主港)の近く(赤矢印)から、 うぷしがー(大石川)、とぅぎゃんでぃがー(潮川)、 はしがー(橋川)、やまがー(山川)、いざいがー、 みーがー(新川)、やぐるがー。7つの川口が並ぶ。 ※地図は『久高島資料』('79年、古典と民俗学の会発行) ![]() 〈その1〉うぷしがー入口。久高島郵便局の近く。 もっとも水量が多く、昔は簡易水道の水源だったという。 ![]() '70年代までは川の水が生活用水だった。 映画「イザイホウ」にも、'66年の久高島で、 女性や子どもたちが頭上に水桶を乗せて歩くシーンが。 ![]() 〈その2〉とぅぎゃんでぃがー入口。 集落の通りから左に折れるとすぐ。ここは、 飲用ではなく洗濯や水浴び用の川だったという。 ![]() とぅぎゃんでぃがー。漢字で潮川とも書く。 ![]() 同じく、とぅぎゃんでぃがー。降りた右側が水源。 北側の禊ぎ用の川とは、かなり趣きが違う。 ![]() 〈その3〉はしがー入口。白い看板には 消えかけているが「知念村」と筆書きが見える。 市町村合併で南城市になる前は観光名所だったのか。 ![]() はしがー。 久高島の川はいずれも珊瑚岩から染み出るほど の水量だったようで、夏の日照りの強い日には水が枯れる ため、早朝から水汲みする人の列ができたという。 ![]() 本島を見やりつつ、南から歩いた「七川巡り」。 3川目までは、昭和時代までの生活が偲ばれたが、 4川目「やまがー」からは古伝の残る史跡となる…。
by utoutou
| 2015-04-18 11:40
| 龍蛇神
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