久高島の七川(なながー)巡りをしたのは、 3月21日(土)春分の日のこと。 日の出は6時47分、新月・大潮。 6時に宿を出るときの気温は、19度。 七川を巡りを開始した8時半で、23度。 1ヶ月遅れて、きょう4月23日、東京も 日中はようやくその陽気に追いついた。 3月21日の6時50分、日の出直後の伊敷浜。 太陽は雲に阻まれていたが、春の曙を十分に堪能。 ![]() そして、 ヤグルガーに参ってみようかと思った。 七川のうち最北に位置する川泉である。 ヤグルガーと伊敷浜を、一対の聖地 として語るのは王府時代の説話集 の『遺老説伝』や『久高島由来記』。 玉城から渡島した シラタルとファガナシー夫婦は、 伊敷浜に流れ着いた白い壷を拾えなかったが、 ファガナシーがヤグルガーで沐浴すると、 壷は袂に懸かり、中に七穀の種が入っていた。 ヤグルガー(屋久留川)入口。ひらがなでは 違和感があるのは、この看板に慣れ親しんだせい? ![]() ところで、 「久高島穀物伝説」には続きがある。 白い壷にあった種を植えて五穀豊穣に恵まれた 夫婦は、一男二女をもうけた(これには諸説あり)。 長男は外間神人に、長女は祝女(のろ)になった。 巫女となった次女・思樽(おみたる)は、 王の寵愛を受け玉城王夫人となるも、 側室の妬みを受け、失意のまま 久高島に戻り、ひとり男子を生んだ。 英祖王統最後の王となる西威である。 その産屋は現在も外間殿に残っている。 ヤグルガーは 久高島に限った聖地では終わらなかった。 後に王府から「コバウノ森(フボー御嶽) 四御前」のひとつとして、奉斎を受けた。 ![]() 崖下の川泉までの距離は長いが、 下りてみると湧水口は土砂で埋まっていた。 どうも昨年秋の台風でやられたらしい。 ![]() 西の聖泉・ヤグルガーと、 東にあるニライカナイ遥拝の聖地・伊敷浜。 それは、たとえばヤマトにおける 西の出雲と東の伊勢を彷彿とさせる。 ↓ イザイホーの主祭場・久高殿の東西軸。 左が北、正面(東)方向に外間殿、伊敷浜。 手前は「西方川(かー)群方向」と呼ばれ、 「川神遊び(はーかみあしび)」のとき、 神女たちの登場口となったという。 川神とは龍蛇神のことだろうと、ここに イラブー(海蛇)の燻製場を置いた 祭場の構図に思う。 ![]()
by utoutou
| 2015-04-23 18:45
| 龍蛇神
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