海洋生物研究家・倉谷うらら氏は「熊楠のウガ」 (朝日新聞デジタル '12年1/11〜3回連載) に、南方熊楠が「玉(フジツボ)を抱く龍」 と形容した海蛇を、死んで標本にする前に、 海水を張った桶に入れ息子と観察したと記した。 熊楠日記によれば、 漁師がこの海蛇を持ち込んだのは、 大正13年6月27日。昭和天皇へのご進講で 「玉を抱く龍」の標本をご覧にいれたのは、 5年後の昭和4年6月1日だったという。 何回見てもリアルで見入ってしまう 南方熊楠が描いた「ウガの尾についたフジツボ」 (再掲。南方熊楠顕彰館蔵。 朝日新聞デジタルより拝借) ![]() 熊楠は、フジツボの蔓脚(まんきゃく)が尾に 付着したウガの姿を「宝珠が線毛状の光明を放ち ながら回転するがごとし」と、日記に書いた。 その姿から、倉谷氏は、 伏見稲荷大社のウカノミタマ神や 出雲の龍蛇神を連想した。 曰く、 紀州や出雲では海蛇を「ウカ」「ウガ」と呼ぶ。 いっぽう、尾に付いたフジツボは「ミタマ」。 日本書紀の「神(あや)しき光海を照らして」とは、 この「ウカノミタマ」のことではなかったかと。 さらに曰く、 ↓ 熊楠が見たフジツボ(スジエボシ貝) の蔓脚は、一般的なフジツボと違って 「一つ一つがツブツブとしていて茶褐色。 よく実った“稲穂”に酷似している」 「豊穣の神ウカノミタマの原初形態 であったといえなくもない」と。 ![]() なるほどなあと思う。 ウカノミタマの原初形態は、稲魂を抱いた蛇か。 熊楠は沖縄稲作の聖地・玉城に行っていない。 が、玉城そして対岸の久高島が 「7つの首の蛇」に例えられたという古伝に、 「稲穂を抱いた蛇」を重ね合わせると、私は 「7つの稲作渡来族」を見る思いがした。 ↓ 熊楠が昭和天皇への天覧に供した標本。 (南方熊楠記念館蔵)。展示解説は、 「尾端にエボシ貝を寄生させた珍しい海蛇」。 ご進講の冒頭に解説したのが「ウガ」の話だった。 ![]() 出雲大社境内に立つ 幸魂奇魂(さきたま・くしみたま)像。 ('13年秋に撮影) 「海を照らして依り来る神あり。 大國主大神はこの幸魂奇魂の“おかげ”を いただいて神性を養われた」と、石碑に。 ![]()
by utoutou
| 2015-05-03 12:44
| 龍蛇神
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