駿河から上総へ、浦賀水道を渡ろうとするも 暴風雨に遭い立ち往生したヤマトタケルのため、 身を投じて海を鎮めたという弟橘媛。 以前から、弟橘媛は「人柱」だったのだ ろうと思っていたが、初めて参った走水神社 は、ヤマトタケルとオトタチバナヒメという 主祭神の「夫婦愛」物語に彩られていた。 こちら絶世の美女だったという弟橘媛 のレリーフが目を引く「舵の碑」。 その献身を讃え、また浦賀水道の安全を願って 昭和50年の国際婦人年に建立されたという。 ![]() 弟橘媛レリーフのアップ。 ![]() 左の碑は、ヤマトタケルに料理を供した記念の包丁塚。 ![]() 弟橘媛が身投げする間際に詠んだ歌を 竹田宮昌子内親王が御書したものという。 その歌は、『古事記』に見えている。 〜 さねさし 相模の小野に 燃ゆる火の 火中に立ちて 問ひし君はも 〜 (※「さねさし」は「相模」の枕詞) 現代語に訳すと、 「相模の小野で戦があったとき、 炎の中で、私の名前を呼んだ君よ…」 これを見ると、この地で何らかの抗争が、 姫の身投げの前段にあったことが窺える。 その舞台「相模の小野」とは、一説に 弟橘媛の祖父・橘モトヒコが賜っていた国。 現在の大山安夫利神社のある伊勢原市とも、 小野神社のある厚木市とも言われる。 そして、弟橘媛の父は、 「穂積氏忍山宿禰(オシヤマスクネ)」 であると『日本書記』に見えるので、 歌の意味は 〜 貴方と私の家が敵味方に別れても、 炎の中から私を呼んでくれたね 〜といったところ。 何やらロミオとジュリエット的な展開。 ところで、 母の放橘(ハナタチバナ)媛は再婚だった。 その前夫(=弟橘媛の実父)は田道間守 (タジマモリ)であると『ホツマツタエ』に。 田道間守とは、ご存知、垂仁天皇の勅命 により、不老長寿の仙薬と言われた 非時香木実(ときじくのかぐのこのみ) を探しに常世の国に行った忠臣。 新羅から渡来した天日槍 (アメノヒボコ)の玄孫とも伝わる。 ようやく見つけて帰ったときに天皇は すでに亡く、嘆き悲しんだ田道間守も死んだ と、記紀は伝える。つまり殉死したと…。 思えば、ヤマトタケルは垂仁天皇の孫。 田道間守と弟橘媛は、二代にわたり皇家に殉じた。 ちなみに、天日槍とは、 新たな産鉄技術を日本にもたらした人物。 穂積氏とは、物部氏の正統とされる古代産鉄族。 田道間守父娘の殉死は、ヤマトタケルが、 新旧の渡来産鉄氏族を治めたことを示す説話だと思う。 ではなぜ、ヤマトタケルは総統に成功したか。 火打袋と草薙の剣を持っていたからだ。 それは、いわば水戸黄門の印籠だった。 背後の山は観音崎公園、散策する観光客も多い。 波止場を左へ進むと、媛が身投げした岬に出る。 ![]() 港の突端。媛が身を投げた「御所ヶ崎」。古来この地に 祀られていた弟橘媛は、明治末期に走水神社に合祀された。 訪れた日は真夏日だったが、人影はまばらだった。 ![]()
by utoutou
| 2015-06-03 21:07
| ヤマトタケル
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