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ヤマトタケル ⑬ 古代稲荷跡 〜 走水神社

走水神社境内にある稲荷社。
背後の磐座には、洞穴状の祠が3つ。

そのいちばん左は、水神社といい、
小さな社に可愛らしい河童が祀られている。


傍に掲げられた額の説明は以下の通り(要約)。
〜 かっぱ(河童)は想像上の動物で、子どもや
動物を引き込むという悪さの反面、水の化身や
水神として尊ばれた。漁業の手引きをして大漁を
もたらしたり、遭難者の人命救助をした。
水と縁の深い走水では、昔から水神として祀られた〜
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河童やオシラサマ神は、封印された瀬織津姫を
崇めた民がつけた異名だと言われるが、
私は河童を見て、沖縄のキジムナーを思った。

キジムナーは、ガジュマルに住む森の精霊。
ただし昔は海のキジムナー(ブナガヤ)もいた。
船の舳先に飛び乗って、大漁を
もたらしたという民話も、各地にある。
まったく河童や水神と同じような神技。

キジムナーが瀬織津姫とは思えないが…。

ちょうどお年寄りが参拝に来たので、
水神社について聞いてみた。
「昔はここに水が湧いていたんですか?」
おじいさんは言った。
「この岩はいつも湿っているから、そうでしょう。
ここの手水舎の水は富士山の湧き水だし、
大昔は神社のすぐ下が海だったらしいですよ」

思えば、すぐ近くに「走水水源地」がある。
明治時代、横須賀造船所の設立当時にできたという。
今では「おいしい水」が飲める場所として有名。

改めて、沖縄の受水走水を思う。古代は、
走水神社と同じように、海に向って鳥が羽根を
広げたようなかたちの海岸線に、台地から
出た幾筋もの湧水が流れ込んでいたという。

その葦原にはスズが成り、製鉄が行われていた。
…というのは私の推理だが、ともあれ
玉城・垣花樋川の斜面には、古代製鉄所跡がある。



ヤマトタケルが平定の旅をした
各地の古代産鉄地は、多かれ少なかれ
同じような地勢だったようだ。走水神社の
社殿から奥宮へ登る坂も、迂回しなければかなりの傾斜。
ヤマトタケル ⑬ 古代稲荷跡 〜 走水神社_a0300530_1522559.jpg




坂を登ると「古代製鉄所跡」の表示があった。
〜西暦百十年十月 日本武尊東征の折 上総国に
渡る際、この地 走水を訪れ、蝦夷征討の祈願を
したと伝えられている祠のあった跡地です〜
ヤマトタケル ⑬ 古代稲荷跡 〜 走水神社_a0300530_1522556.jpg


ヤマトタケルが祈ったという祠。
またもや、3宮。後ろに廻ってみたが刻字はない。
ヤマトタケル ⑬ 古代稲荷跡 〜 走水神社_a0300530_15214171.jpg



なんだか「3」が目につく御嶽だ。と、そこで、
古代産鉄地とは物部氏の居住地なのだと思い至った。
三峯、秩父三社しかり、産鉄地にはとかく「3」がつく。

物部と言えば、この地で没した弟橘媛。
穂積氏忍山宿禰の娘。穂積氏は物部氏と同族である。
ちなみに、穂積氏の創建した青麻神社
(宮城県仙台市)は、別名・三光宮という。


改めて沖縄の古代信仰を思った。
沖縄の蒲葵(くば)は、神と崇められた龍蛇
に見立てられたが、一般的に龍蛇信仰の強力な
担い手は物部氏、そして同族の海人族だった。

伊勢神宮の初代斎宮となった倭姫、そして
その甥のヤマトタケルも、母系は海人族と見られる。
大和朝廷の成立以前、皇后は海人系の豪族から選ばれた。


by utoutou | 2015-06-07 16:45 | ヤマトタケル | Trackback | Comments(0)
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