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ヤマトタケル ⑮ ふたつの神剣 〜 熱田神宮

熱田神宮創祀1900年('13年)という
時期に解禁となった
一之御前神社(いちのみさきじんじゃ)。
本宮の北西に位置する謎めいた神の社。
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社名の意味を考えるためのヒントになりそうな
連絡が、語り部から来た。

ヤマトタケルの没後、熱田神宮が創祀される
まで草薙の剣が祀られていたという境外摂社
・氷上姉子神社のことも前回書いたが、
その氷上(ひかみ)の由来について。


「氷上というのは、火上とも書きますか?」
こうして語り部の質問はいつも唐突。
「はい、最初は火上の里といったとHPにありました。
火災があって、現在の氷上に変えたそうです」
すると一瞬の間の後、語り部は言った。
「火上では、火の神をお祀りしていたのでは。
尾張も火の国、火の一族だったということですね」



火の一族と聞き、
草薙の剣がここにある必然が分かる予感。
この地・熱田が産鉄地であることは言うまでもなく…。
ヤマトタケル ⑮  ふたつの神剣 〜 熱田神宮_a0300530_1548091.jpg




火の一族…確かに尾張氏の祖神は火明命。
草薙の剣を祀ったヤマトタケル妃・宮簀媛命の
父・小登与命(おとよのみこと)は火明命の末裔だ。

『先代旧事本紀』の巻十「国造本紀」には、
尾張国造として
「天火明命十世孫小止与ノ命」の名が見える。

また始祖を彦火明命として同族の海部氏
に遺る「勘注系図」(籠神社蔵)も、
小登与命は「火明命十一世の孫」と記す。

その「勘注系図」によれば、
彦火明命は火瓊々杵尊の兄。『古事記』と同じく、
天照大神の孫(天押穂耳命の子)
として併記されている。

『日本書紀』では、
天照大神ー天押穂耳命ー瓊々杵尊、
それから一世代下って火明命がいたが。

そうすると、尾張家と海部家の祖神である
火明命も「火継の皇子」であって、
天叢雲剣を持って高天原から降臨した可能性がある。
つまり神剣が尾張の地に祀られたのは至極当然のこと。


そこで、アッと思い出すことがあった。
「実は、草薙の剣はふたつあると思っているのです」
と、語り部はかねがね言っていたものだ。

天孫・天皇家の神剣。
天孫・海人系の神剣。

仮にそうなら、ヤマトタケルの草薙の剣は、
2振りのうちの1振りということになる。

これまで禁足地だった熱田神宮の一之御前神社。
「一」とは「1振りの剣の御前」
という意味ではないか?
仮にそうなら、こうも思うのだ。
いつか、2振りの剣は統合されるのではないか?



熱田神の境内に展示されていた
「神話と歴史でたどる熱田神宮千九百年の歴史」より
ヤマトタケル ⑮  ふたつの神剣 〜 熱田神宮_a0300530_16315849.jpg


こちらも展示より
「大和武尊、宮簀媛命に宝剣を預ける図」
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by utoutou | 2015-06-12 18:35 | ヤマトタケル | Trackback | Comments(0)
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