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ヤマトタケル ㉒ 孫の応神天皇 〜 誉田八幡宮

ヤマトタケルを祀る白鳥神社のある羽曳野市
(大阪府)には、藤井寺市にかけて世界文化遺産
登録をめざす巨大な古墳群があり、そのひとつが
日本武尊白鳥稜古墳だが、そちらはさておき、
白鳥神社の北500mにある誉田(こんだ)八幡宮へ。

ヤマトタケルの孫・応神天皇がご祭神。
その応神は、仲哀の子、つまりヤマトタケルの孫…
と考えると、どうも年代計算が合わない…と、常々
考えていたことが、誉田八幡宮へと足が向いた理由。

というのも、ヤマトタケルを祀る熱田神宮は、
ついこの間、2013年に創祀1900年祭を迎えた。
皇子亡き後、草薙の剣を祀るための創建だったが、
その2013年から1900年を引くと、西暦113年。
『日本書記』にヤマトタケルは30歳で没したとある
から、ヤマトタケルの生年は、西暦83年以前。

いっぽう、応神の母・神功皇后は362年に出産。
ヤマトタケルと応神の年の差は279年。
そんなに年の離れた祖父と孫は、まずいない。

さらに『書記』は、父・仲哀がヤマトタケルの
死後36年目に生まれたとしていること
から「架空説」もあり、もう訳が分からない…
まさに謎の四世紀だなどと思いつつ、
参拝客のいない境内を進む。



参拝後、賽銭箱に浮かぶ三つ巴紋に目が行く。
琉球王朝の左三つ巴(ふぃじゃいごもん)と同じ。
八幡宮はおしなべてこの神紋だが、久々に拝観した。
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鳥居は東向き。本殿は広い境内を真っ直ぐ進んだ先。
右(北)に国内第2位の規模を誇る応神天皇稜が隣接。
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鎌倉から室町時代には、源氏の氏神を祀る
社として幕府の保護を受けて興隆したという。
耳に心地よく、砂利を箒で掃く音が静かに響く。
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応神稜サイドに、摂社が並んでいるようだと近づくと、
ここにも稲荷神社が鎮座。姫待稲荷神社という。
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そして稲荷の前でも、太陽と月の石灯籠に遭遇。
白鳥神社と揃えたかのような一致は、何を意味する?
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境内には、同じ刳り抜き紋の石灯籠が何基もあった。
誉田八幡宮と応神稜をつなぐ
放生橋(ほうじょうばし)に近くにも…。
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by utoutou | 2015-07-02 18:40 | ヤマトタケル | Trackback | Comments(0)
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