大田田根子の出自は和邇氏だった… という考えは以前、琉球の和邇氏に書いた が、記紀に見える大田田根子が、 大物主を祀って三輪山の神主になる経緯は、 おおむね次のようなものだった。 〜崇神の時代に疫病が流行って人民が死に絶えよう というとき、天皇の夢に大物主が現れて宣った。 「汝、オオタタネコを呼んで祀れば天下は平安になる」 そこで、茅渟県の陶邑(ちぬのあがたのすえむら)に いたタタネコを探し出し「お前は誰の子か」と尋ねると、 「父の大物主、母は活玉依姫」と答えたので、 祭主とした。すると疫病は止み、五穀が実った〜 大田田根子は埴輪製作に携わる土師氏。 茅渟県は河内(正確には和泉市)にあった。 南河内一帯は、鍛冶と埴輪製作のメッカだった。 河内と同様に、大物主の三輪山も産鉄地だった。 亦の名・大巳貴は産鉄神(タタラ神)である。 「祟り神」の語源は、封殺されたタタラ神だろう。 (古代製鉄の民は、神武によって封じられた…) やっぱり、大田田根子は和爾氏だな …と、日本武尊稜から向った 誉田白鳥埴輪製作所遺跡で思った。 埴輪窯跡に出土埴輪の写真が掲示されていた。 そのなかに、↓こちらの家型埴輪の写真が。 切妻の先が左右に伸びる「舟形屋根」の家。 ![]() その家屋は、和邇氏の本拠から出土 した「謎の鉄刀」の還頭と、かなり似ている。 舟形の屋根が家に乗った形なのである。 奈良県天理市の和爾下神社は東大寺古墳の上 にあるが、そこから出土した青銅製還頭太刀。 和邇氏の首長が所持していたもので、4世紀の大陸製。 頭部に、家屋型の飾りを付け改造してある。 ![]() その飾りこそ、上古代の和邇氏が、 西は大陸から東は琉球・日本列島まで 広大な海を制した海神族だった証ではないか。 鳥越憲三郎氏や吉野裕子氏といった 沖縄に注目していた民族学者が指摘している ことだが、「舟形屋根」とはインドネシア にいたトラジャ族の慣習でもあった。 そんなわけで、ヤマトタケルは、 上古代の海を制した海神族・和邇氏 の末裔だったのだろうと、改めて思う。 『倭族トラジャ』を著した鳥越憲三郎氏 は、大著『琉球宗教史の研究』も残し、 イザイホーの研究でも知られるが、 「倭」が、実は琉球を中心にした大海洋王国 だったと、薄々感じていたのではないか…。 そして、後の和邇氏となっていったことも。 古市にある日本武尊稜古墳。羽曳野市の名は ヤマトタケル亡き後、飛んでいった白鳥が 羽をここに引いたという伝承からというが、 それを後世に残したのも、 舟形埴輪を作った土師氏=和邇氏だったと思う。 ![]()
by utoutou
| 2015-07-11 21:49
| ヤマトタケル
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