沖縄半島西海岸の恩納村に泊まったので、 1時間あまり北へ車を走らせ、国頭郡の 奥間(おくま)村へ行ったのは2ヶ月前。 関東や関西でヤマトタケル神話の伝承地 (=古代産鉄地)を訪ねていたので、 沖縄でも…と思った。 県内に古代産鉄地と伝わる土地はないが、 「御先(うさち)カニマン」の言葉はある。 御先は上古、カニマンとは鍛冶屋のことだ。 「そう呼ばれる御嶽がある以上、 上古の時代にもカニマンはいたと思っています」 と、語り部は言う。 ともあれ、奥間村は「カニマン」と呼ばれる。 第二尚氏王朝の初代王・尚円が、 まだ金丸と名乗っていた時代、 故郷の伊是名島を追われて身を寄せた先は、 奥間鍛冶屋(うくまかんじゃー)のインキツ屋。 その屋敷跡が、現在の金満神社だという。 そんなわけで、奥間村に向かったが、 レンタカーとの相性が悪かったらしく、 奥間村のなかで道に迷ってしまった。 ちょうど梅雨入りで、 突然のスコールにも見舞われた。 目指すインキツ屋に着けずに諦めかけ、 奥間公民館の裏山の御嶽から帰ろうとしたとき、 公民館の外壁が、目に飛び込んできた。 鍵と万…カニマン。公民館に堂々と。 「王を生んだ鍛冶屋の村」の伝統を垣間見た思い…。 ![]() この奥間鍛冶屋は、久高島とも縁が深い。 久高島の根家・外間家では、 鍛冶神・カニマンガナシーを司る神職が、 奥間鍛冶屋に定期的に参拝していたという。 以下、比嘉康雄著『神々の原郷 久高島』より引用。 〜ハニマンガナシー ハ二とは鉄の意で、この神は フーチガッタイ(ふいご)をシンボルにする 鍛冶屋の神と言われている。 …ほとんどのシマレベルの祭りに 白衣で参列する。十一月には独自に フーチガミのお願をする。三年に一度、 国頭郡奥間の「ウクマカンジャー」に参拝する。〜 鍛冶神・ハニマンガナシーが祀られている 久高島第一の祭祀場・外間殿。 正月をはじめとして年中行事が行われる。 ![]() 外間殿の神壇。香炉は左から、 ムンパー、ムンプシー(外間家の開祖)、 そして、ハニマンガナシーと、比嘉氏は記録した。 ![]() ハニマンガナシーは、同じ南城市にある 大里・西原集落の根家「新垣がじゅまる屋」 にも祀られている。ここへは今年3月に再訪した。 ![]() Yahoo!地図に加筆した赤丸。左が大里西原の位置。 ちなみに赤丸の右が斎場御嶽の位置。 大里西原、斎場御嶽、久高島は、ほぼ東西に一直線 に並ぶ。上古にあった祭祀場の大掛かりな配置か。 ![]() アマミキヨの神紋(写真右上)を掲げる 新垣がじゅまる屋の神壇。香炉は、 左から(写真には写らなかったが)ヒヌカン、 火の神、水の神、真ん中の壁の陰に女の神様、 そして、カニマン。 「女の神様は、屋敷内に御骨玉が祀られ、 カニマンの香炉は、カニマン御嶽に 当てられている」と、語り部は言う。 ![]() ヤマトタケルを各地で祀ったのは、 大和豪族の和邇氏に繫がる人々では なかったかと何度か書いたが、 カニマン御嶽のあるこの大里西原も、 「沖縄の“和名”こと和邇氏が渡来して最初に 住み着いた場所では」と、語り部は言う。 いっぽう、和邇氏は渡来する前、朝鮮半島と 中国の国境地帯にあった産鉄地にいたと 『契丹古伝』に記されている。 大里西原で祀られるカニマンは、はたして 御先の鍛冶神か、もっと下った時代の鍛冶神か。 御先の神なら、代々祀り継がれてきたことになる。 また集落内のヌル殿内(どぅんち)にも、 カニマン御嶽に当てられた香炉が祀られている。 語り部が稲作起源の地・受水走水で白鳥や鷲を 霊視してきたというのは、そんな歴史の投影か。 和邇氏とカニマンとヤマトタケルというキーで、 沖縄と日本の歴史は繫がっているのではないか…。
by utoutou
| 2015-07-16 13:20
| ヤマトタケル
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Comments(1)
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![]() by utoutou
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