石垣の奥に『西森碑記』という石碑がある。 琉球王朝に近い伊江家による建立という。 ![]() 以下、碑文解説の抜粋。 〜(前略)森の川で沐浴していた天女と奥間大親が出会い、 一男一女が生まれた。男の子は察度と名付けられ、 後に中山王に就いた。私達の元祖尚宗賢伊江王子朝義の 母は宜野湾間切謝名村の野国掟(うっち)の娘で、名を 城の大按司志良礼(しられ)といい、尚清王夫人である。 私達孫は毎年五月、西森および森の川の泉を拝んでいる が、野国掟は奥間大親の末裔であるという伝説 があるからであろう(後略)〜 しばし、説明に見入った。 つまり…ふたつの王統が、 天女の血縁で繫がっていることになる? ともあれ、尚清王(在位1527〜1555年)の第七子を 初代とする伊江家の人々が森の川の石積み工事を 完成させたのは、1725年のことだったという。 森の川の傍らで見つけた往年のスケッチ(石板)。 川泉周辺の石積みを整備しのは、 天女の子孫である伊江家の人々だという。 ![]() 中山王・察度(さっと)の母は天女、 琉球王朝の王妃もまた天女(の末裔)。天女とした ところに政略的な作為を感じるのは、私だけかしらん? などと思いつつ、森川公園を出ると、近くに たいへん立派な拝所があるのに気づいた。 公園で見た古絵地図に奥間家が描かれていた が、ちょうど位置的に一致している。 失礼します…と、無人の神屋に声をかけ、 静かに、しかし、思い切って引き戸を開けた。 ![]() ![]() ![]()
by utoutou
| 2015-09-13 05:49
| 天女伝説
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