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沖縄の天女伝説 ⑧ 天久宮の天女は弁財天

那覇港に近い泊高校の北に隣接して、
琉球八社のひとつ「天久宮」がある。
那覇市泊3丁目。旧地名が天久だったらしい。
「天久にも天女が舞い降りた伝説がある」と
語り部に聞いて、参ってきた。

鳥居前に立つマンションの引っ越しで、
トラックが停車しており、1回切り返して
レンタカーを鳥居の中へと滑り込ませた。
そこは清らかな神域…のはずだったが、駐車場。


祭神は、天龍大御神(先樋川)、 
天久臣之姫大神、泊龍宮神、弁天負泰彦大神、弁財天。
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駐車場の左手、狛犬ならぬシーサーに迎え入れられ、
地下1階にあたるらしい境内に降りて行く…。
正面に見えるのが、沖縄県立泊高校。
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シーサーの傍らには「天久宮由緒」書き。
この地にも「銘苅」の翁が登場する。
時代は舞踊『銘苅子(めかるしー)』と同じ、
尚真王のいた琉球第二尚氏王朝、15世紀中頃のこと

以下、由緒の抜粋(一部、現代語訳)。

 〜 お宮の創建は成化年間と伝えられる。
尚圓、尚宣威、尚真王時代、西暦1465〜1487年)

往古、銘苅村にいた銘苅の翁子が、
夕陽の没する頃、天久野で、法師と気高い女人が、
山上から下ってくるのに出会った。


中腹には小洞窟があり、井戸から水が湧き出ている。
翁子が「女人が何人なるか」を尋ねると、法師は、
「自分は山の中腹に住んでいるが、女人は山上に住む人で、
名前は分からない」と、答えた。

あるとき、女人が洞窟に入る途中で消えるのを見た
翁子は驚き、事の次第を王の臣に伝えた。
伝え聞いた時の王は、真偽を試そうと、役人に命じ、
洞窟に向って香を供えさせたところ、
それが自然に燃えたので、外に社殿を造営して祀った。

そこで、神託があった。
「我は熊野権現なり、衆生の利益の為に現れたり。
かの女人は国家の守護神なり、弁財天である」と。

銘苅の翁子は、
神徳を重んじ国家安全、万民豊楽の基のため、
社殿を建立して祭ったという。〜(後略)



階段下の境内に、
「由緒」に登場した弁財天のお宮がある。
天女橋?のかかる川が流れている。
こちらの建立時期は、社務所が無人のため聞けなかった。
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↓ 弁財天のある、地下1階部分(境内)。
右手前が拝殿、奥の建物が権現堂。
これは巨大な磐座の中途に渡された足場なのだと、
階段でさらに地下2階部分に降りてから分かった。
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右が本殿のようだ。
拝殿と磐座の間に隠れてるように祀られている。
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地下2階に降りて行くと、磐座の基層部分に出た。
左の尖った石に「泊之ユイヤギ御嶽」と刻されている。
こちらが、御由緒にある弁財天のいた洞窟か。

この石天井が、上の境内の地面となっている。

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こちら地下1階部分(境内)の上にある御嶽。
右から、泊龍宮神、筒男神・弁天負泰彦大神
という神名が見える。

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もともとの社殿は昭和19年の空襲で消失したため、
戦後はいったん御嶽形式で奉祀することにしたが、
本土復帰後の昭和47年に宗教法人となり、
同日神社本庁に包括されて社殿が復活したという。

本来の御嶽は、巨大な磐座だったのか…。

そして、なぜこの地に、
熊野権現と弁財天が祀られたのか?
それをゆっくりと語り部に尋ねてみたいと思う。








by utoutou | 2015-09-05 21:26 | 天女伝説 | Trackback | Comments(4)
Commented by sayu at 2015-09-06 06:56 x
いつも、ブログを拝見させて頂き、非常に勉強になります。
ところで、お聞きしたいのですけれど、過去から今までは、ブログを支障なく読むことができましたけれど、このブログなどは一部「文字化け」してしまっており、読めない部分があります。

因みに私は「ガラケー」ですけれど…最近、スマートフォンか何か「以前と違う手段」でブログをアップされましたでしょうか??…

…他に原因が見当たりませんので…教えて頂ければ幸いです。
よろしくお願い致します。
Commented by at 2015-09-07 22:24 x
utoutouさん、こんばんわ 。ここは…転勤初期に散歩してた時に見つけた神社です。しかも鳥居だけあって、あとは駐車場しかないなんて、沖縄の人は神社をわかってないぜ、ふっ。とわかったようなことを思ってたら下にあるんですね、本殿!わかってないのは私の方でした(笑)今度再訪します!最近南走平家による琉球沖縄史や目からウロコの琉球沖縄史を読んで、琉球文化が中国っぽくなったのはつい最近のことと改めて知りました。となると、沖縄の神社も琉球処分の後に仕方なく作ったものでなく、古代海洋王国、古代日本に渡った海洋民族に繋がる謎が隠されてるかもですね!
Commented by utoutou at 2015-09-10 22:30
> sayuさん
返信が遅くなりまして、すみません。文字化けですか…。
申し訳ありませんが、思い当たることがなく、いつも通りPCでブログをアップしたものです。
時間のあるときに調べてみますね〜
Commented by utoutou at 2015-09-10 22:39
> 寅さん
こんばんは。天久宮、本当に面白いほど重層的な神社だと思いました。
神社でありながら、それ以前は御嶽、そして権現堂もあり、熊野権現もいらっしゃる。
でも権現堂があるように、天久宮には聖現寺という別当寺だったということです。
おっしゃる通り、天久宮の歴史は古く、海洋民族に繫がる謎が隠されていると思います。
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