語り部が銘刈港川原で霊視したという大物主大神。 思えば、当ブログでは案外と頻繁に登場している。 崇神の時代に、大神神社(奈良県)の祭主として 大物主大神を祀った大田田根子の出自は和邇氏だった という系譜は、『琉球の和邇氏』の記事で見た。 この大田田根子は、天皇に「親は誰か?」と聞かれて 「父は大物主、母は活玉依姫」と答えたと記紀に あるが、母の活玉依姫については、『古事記』に、 名も知らぬ若者の子を身籠った姫として登場する。 妊娠に驚いた両親に、男の身許を調べるよう言われ、 男の着物の裾に、針に通した麻糸を付け、 それをたぐって行ってみると三輪山に辿り着いた。 若者は三輪山の大物主大神、つまり蛇神だった…。 それとまったく同じストーリーの神話が、宮古島 最高の聖地・漲水御嶽(はりみずうたき)にもある。 美しい娘を孕ませたのは、漲水の洞穴にいた大蛇だったと…。 大物主神という名の蛇神と、宮古島と、銘苅。 古代、大物主が率いた一族は宮古から移動してきたのか? 現代ではもはや調べる手がかりもないと思いきや、 先日、語り部が言った。 「銘苅から安謝川を挟んで北は、浦添ですが、 そのあたりには宮古島出身の家がとても多いのです」 「浦添ですか…」 「その一族と、浦添城は関係があるかもしれません」 浦添城。琉球初代の王・舜天(1187〜1237年) の時代に創建されたと言われる。 浦添の語源が百浦襲(ももうらそ=浦々を支配する) であるという考察は、伊波普猷氏が 著書『古琉球』の「浦添考」に記した。 首里城の正殿・百浦襲(もんだすい)の謂れだとも。 その百浦襲(ももうらそ)を思うとき、いつも、 倭迹迹日百襲姫命(やまとととひももそ姫)を連想する。 百・浦・襲の3字に通じる浦添の地名が、 ズバリ琉球と百襲姫の関係を物語る…との説もある。 百襲姫の墓陵と言われる箸墓古墳(奈良県桜井市)。 『日本書紀』では、姫は大物主神(蛇神)の妻になったと。 百襲姫を『魏志倭人伝』の卑弥呼に比定する説は根強い。 (写真は'11年の撮影) ![]() ![]() ![]()
by utoutou
| 2015-10-01 21:10
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Comments(4)
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utoutoさん、こんにちは! 宮古ですかー。はりみず御嶽、行った事あります(≧∇≦)ゴルフ旅行で宮古行って、お土産買って、港をブラブラ散歩してた時に遭遇しました。野良猫が10匹以上いて、ここは猫のパラダイスだなと思っただけでしたが(笑)そんな伝説が残る場所なんですねー。そして、確かに浦添は宮古出身の人が多いですねー。宮古も色々とミステリーがあって面白そうですね!
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> 寅さん
こんにちは。はい、宮古、八重山。むしろ住みたいぐらいですね〜。笑 そうですか、やはり浦添に宮古出身の方が多いと。代々なのでしょうか。 ところで、銘苅、大山、浦添まで行けば、浦添城はもうすぐ。 今でも浦添の高台から斎場御嶽(ナーワンダーグスク)は見えますよね。 近々また沖縄に行きますので、浦添を歩いてみたいと思っています。 ![]() ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
> yuさん
コメントありがとうございます。語り部さん気になりますよね(笑)。御嶽を守って旅に出ることもなかったという神女おばあの口伝を漏れなく残そうとする語り部さんの姿勢に、いつも力をもらっています。大物主の「物」=ムン=霊魂、と言う語り部さんの話をどこかに書きましたが、神の名前を悟ることが、ご自身を捉えるきっかけになるとよいなと思います。
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![]() by utoutou
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