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東北へ ② 金蛇水神社

宮城県岩沼市三色吉に鎮座の金蛇水神社
に初参詣。「かなへびすい」と読む字面
に違わず、古来、水神の宮だったという。

御祭神は水速女命(みずはやめのみこと)
大己貴命(おおなむちのみこと)
少彦名命(すくなひこなのみこと)

水速女命=罔象女命(みずはのめのみこと)
無論、=瀬織津姫神。
その名で思い出すのは、伊勢神宮内宮の別宮
・伊雑宮のさらに奥宮と呼ばれる天岩戸(滝祭宮)
に祀られていたのが、罔象女命と猿田彦大神だった。
また無論、猿田彦大神=大己貴神。
縄文のとき奄美沖縄を含むこの東アジアの列島で、
あまねく祀られていたであろう、男女一対神だ。



竹駒神社から北西へ車で10分、歩けば1時間という
山裾に金蛇水神社はある。鳥居は珍しく白色で、
神域に足を踏み込んでから振り返ると、紅葉が見事。
東北へ ② 金蛇水神社_a0300530_16315560.jpg



金蛇水神社『参拝のしおり』によれば(引用)
〜金蛇水神社の創祀は、その水源の神としての性格
からみると、この地方に人々が初めて足跡を記した
悠久の太古にさかのぼるものと考えられる。〜

以下、意訳。

そこへやって来たのが、
平安京に住んでいた刀匠・三条小鍛冶宗近。
一条天皇の永祚元年(989年、平安時代中期)
天皇の御刀を鍛えよとの勅命を受け、
名水を求めて諸国を歴訪するなか、こちら
三色吉(みいろよし)で至高の清水に出会った。

で、いよいよ刀を鍛えようとするが、蛙がうるさく
鳴くので、自ら金蛇を打って池に鎮め、刀鍛を完成。
帰り際に奉納したその雌雄一対の金蛇は、御神体と
して祀られ、以後、↓ 金蛇水の社名となったという。
東北へ ② 金蛇水神社_a0300530_16320114.jpg


小野篁が竹駒神社を創祀した842年のほぼ同時代、
今度は天皇の勅命を受けた刀匠もやって来るとは。

宗近は国宝指定の銘刀・三日月の作者。
どれだけメジャーなのか岩沼…と、夜行バス明け
のアタマで思ったが、ここは陸奥国府・多賀城
の玄関口にして東海道と東山道が交差する要所。

南にはヤマトタケルが訪れたという旦理町
があり、ヤマトタケルは産鉄地を廻ったという
持論により、この地は広範囲な古代産鉄地だったろう
と確信した。しかも、境内には立派な藤棚がある。

藤で編んだザルは、川で採った砂金を選る道具だ。
よって藤のつく地名・人名は古代産鉄に関連した証。
この地を訪ねた三条宗近は、調べると、
名を信濃守粟田藤四郎(938〜1014年)
という公家(信濃は拝領地)であったという。

粟田氏と言えば粟田真人がおり、和邇氏と同族。
また三条宗近は、姓を橘といったそうだ。
橘氏は、敏達天皇の裔と言われるが、
その夫人となったのが春日臣仲君の女・老女子。
和邇氏から皇家に嫁いだ9人のうち最後の姫である。
すると三条宗近は、皇家外戚の裔ということになる?



鳥居からすぐ中にある素晴らしい藤棚。
春になると「九龍の藤」が見られるそうだ。
東北へ ② 金蛇水神社_a0300530_16320698.jpg


さて、三条宗近は、52歳のときにこの地を訪れた。
狐の相槌で刀を打つ物語の能『子狐』にも描かれて
いるのだが、史実、宗近の氏神は稲荷神だったようだ。

ならば、宗近は竹駒神社へも参っただろうし、逆に
この地域一帯は、産鉄集団の居住地だった可能性がある。
宗近は小鍛冶(刀鍛冶)。ここに大鍛冶(産鉄業者)
いなければ、刀や金蛇を打つことはできない。



金蛇神社の拝殿。
手前にある太鼓橋を渡って拝殿に進み出るが、
太古から崇められた磐座そのものに参りたい気分。
東北へ ② 金蛇水神社_a0300530_16361742.jpg


拝殿の左にあったのは、蠟燭立てらしい小祠。
燦然と屋根に輝く金のアイコンが、金運を呼び込んで
くれそうな雰囲気。いまは金運上昇の神社として人気。
東北へ ② 金蛇水神社_a0300530_16362165.jpg



さて、興味深いことに、ほぼ同時代にもうひとり、
都からこの岩沼にやって来た人がいたという。
竹駒神社の別当寺・竹駒寺を創った能因法師。
この人の姓がまた橘、名は永愷(ながやす)といった。
近江守だった橘忠望の子で、出生988年〜1050年没。
26歳のとき、1013年に出家して歌人になったという。

和邇系3番目の僧侶は、何故ここに寺を編んだか。
というより、なぜこう次々と和邇氏の裔が陸奥入りを?

それは少なくとも、大和朝廷成立以前より、
この地に和邇氏がいたことの証左ではないか。

各地にいた先住集団とのとりなし役を担ったのは、
いつの世も、中央に呼ばれたり派遣されたりした和邇系。
大田田根子、ヤマトタケル、倭姫、神功皇后、
そして小野篁。あるいは三条宗近、能因法師も?

倭姫や神功皇后で思い出したが、
鍛冶とシャーマンは「同じ穴のムジナ」だった。
鍛冶場は火の精霊の棲む儀礼の場でもあったからだ。

また古代において、採鉱・精錬・鍛冶を含む製鉄は、
巨大な技術システムの一環だったという。
技術の伝承は決して個人的なものではなく、そこには
極めて結束の固い組織集団「産鉄族」の存在があった。
(浅井壮一郎著『古代製鉄物語』を参照)



御神体を模した?雌雄一対の金蛇ズームアップ。
伏見稲荷大社と同じシステムのようで参詣客が奉納する。
出雲で出会って以来、このおびただしい数の竜蛇神…笑。
和邇氏しかり、龍蛇神は海人族の信仰対象だった。
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by utoutou | 2015-11-05 22:57 | 神社 | Trackback | Comments(0)
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