![]() ![]() のアタマで思ったが、ここは陸奥国府・多賀城 の玄関口にして東海道と東山道が交差する要所。 南にはヤマトタケルが訪れたという旦理町 があり、ヤマトタケルは産鉄地を廻ったという 持論により、この地は広範囲な古代産鉄地だったろう と確信した。しかも、境内には立派な藤棚がある。 藤で編んだザルは、川で採った砂金を選る道具だ。 よって藤のつく地名・人名は古代産鉄に関連した証。 この地を訪ねた三条宗近は、調べると、 名を信濃守粟田藤四郎(938〜1014年) という公家(信濃は拝領地)であったという。 粟田氏と言えば粟田真人がおり、和邇氏と同族。 また三条宗近は、姓を橘といったそうだ。 橘氏は、敏達天皇の裔と言われるが、 その夫人となったのが春日臣仲君の女・老女子。 和邇氏から皇家に嫁いだ9人のうち最後の姫である。 すると三条宗近は、皇家外戚の裔ということになる? ![]() さて、三条宗近は、52歳のときにこの地を訪れた。 狐の相槌で刀を打つ物語の能『子狐』にも描かれて いるのだが、史実、宗近の氏神は稲荷神だったようだ。 ならば、宗近は竹駒神社へも参っただろうし、逆に この地域一帯は、産鉄集団の居住地だった可能性がある。 宗近は小鍛冶(刀鍛冶)。ここに大鍛冶(産鉄業者) がいなければ、刀や金蛇を打つことはできない。 金蛇神社の拝殿。 手前にある太鼓橋を渡って拝殿に進み出るが、 太古から崇められた磐座そのものに参りたい気分。 ![]() ![]() さて、興味深いことに、ほぼ同時代にもうひとり、 都からこの岩沼にやって来た人がいたという。 竹駒神社の別当寺・竹駒寺を創った能因法師。 この人の姓がまた橘、名は永愷(ながやす)といった。 近江守だった橘忠望の子で、出生988年〜1050年没。 26歳のとき、1013年に出家して歌人になったという。 和邇系3番目の僧侶は、何故ここに寺を編んだか。 というより、なぜこう次々と和邇氏の裔が陸奥入りを? それは少なくとも、大和朝廷成立以前より、 この地に和邇氏がいたことの証左ではないか。 各地にいた先住集団とのとりなし役を担ったのは、 いつの世も、中央に呼ばれたり派遣されたりした和邇系。 大田田根子、ヤマトタケル、倭姫、神功皇后、 そして小野篁。あるいは三条宗近、能因法師も? 倭姫や神功皇后で思い出したが、 鍛冶とシャーマンは「同じ穴のムジナ」だった。 鍛冶場は火の精霊の棲む儀礼の場でもあったからだ。 また古代において、採鉱・精錬・鍛冶を含む製鉄は、 巨大な技術システムの一環だったという。 技術の伝承は決して個人的なものではなく、そこには 極めて結束の固い組織集団「産鉄族」の存在があった。 (浅井壮一郎著『古代製鉄物語』を参照) ![]()
by utoutou
| 2015-11-05 22:57
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