東国三社 ⑧ レイラインを諏訪大社へ

龍蛇族は、沈没したムー大陸から来た。
ユーラシア大陸を往復してきた龍蛇族もいた。
彼らは、後に日本となるこの島々に着いてから
なお、日の出の東方に向けて移動を続けた。

ムー大陸から来た龍蛇族を国津神といい、
大陸から来た龍蛇族を天津神という。
沖縄の古伝では、「どちらの神も元ひとつ」という。

そんな語り部の話を聞いてから間もない週末、
思い立って諏訪大社(2社4宮)に参った。
東京新宿から3時間、恒例の日帰りバスツアーで。

東国三社の筆頭である鹿島神宮と緯度が同じで、
2点を結ぶと東西のレイラインになる諏訪大社。
上社下社の4宮を、湖畔に抱える諏訪湖は、
日本列島を九州・沖縄から、茨城の鹿島まで走る
中央構造線と、糸井川静岡構造線がクロスする位置。

はたして龍蛇族が交差した痕跡はあるのか?

ご存知、諏訪大社の主は出雲で国譲りをしたと
神話にある大国主の次男である。
国取りのために派遣された武甕槌神に抵抗して、
この地に逃れた。出雲や越後の伝承によれば、
海路、母神の故郷である越後に着いてから
諏訪に入ったとされる。



まず出雲からの来た神の痕跡に目を見張った。
諏訪大社下社秋宮の神楽殿には、
出雲大社で見たままの巨大な注連縄が張られている。
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諏訪大社4社に共通する背の高い「御柱」にも、
出雲と同じ祭祀様式が見られる。社殿自体にも。
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↓こちら諏訪大社上社前宮の奥(写真左が本殿)。
祭神は、建御名方命とその妃・八坂刀売命。この
写真右方向にその墳墓がある。ご覧のような磐座も。
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↓諏訪大社上社本宮。ご神体は背後の守屋山と言われる
が、物部の末裔が祀ったとの伝承があるが、時代は新しい?
異名では洩矢山とも呼ばれるが、こちらは
建御名方と戦った土着の神に由来すると伝えられる。
では、太平洋から渡来の痕跡は…?
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手がかりが掴めず、語り部に連絡した。
ひとつだけ気になるものが、あるにはあったので。

「社務所で“薙鎌(なぎかま)守”ってお守りを見ましたよ。
諏訪大社の神器を模したものと書いてありました」

薙鎌とは、諏訪大社の神器のひとつだそうで、
御柱祭の前年(来年は大祭なので今年だが)には、
御柱となる杉に薙鎌を打ち付ける「薙鎌神事」がある。

思うに、薙=ナーガとは、インドの龍蛇神。
草薙の剣の「薙」の語源という説がある。
いっぽう諏訪明神は龍蛇神、冬の「御神渡り」も、
湖面が龍の背のように凍って盛り上がることをいう。

どこか南方系の龍蛇神の匂いがするが、さすがに妄想?
と思っていると、語り部が言った。

「薙鎌…戸隠神社(長野県)の社紋と同じですね」
「は?」
実は9月初旬、戸隠神社(長野県長野市)に参詣した。
その際、奥宮の拝殿で目にした卍の社紋は覚えている。
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↓ 戸隠神社の社紋である「鎌卍紋」
画像は戸隠神社HPより拝借した。
サイトによれば、4本の鎌を卍にかたどった
鎌卍(まんじ)とは水の神・戸隠大神の象徴という。
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薙鎌でつながる戸隠神社と諏訪大社は、
確かにいずれも天竜川水系に属する立地。
龍脈なる中央構造線を源流へと遡った同族もいたか。
上古から農事に鎌を使う民…産鉄族でもあったろう。


「鎌卍や薙鎌は、沖縄のカジマヤーと同じ形ですね」
「カジマヤー?」
言われてみると、確かに形が似ている。
カジマヤーとは、風車のこと。旧歴の
9月7日に行われる「97歳の長寿祝い」を指す。

カジマヤーを祝われるお年寄りは、風車を手に
オープンカーに乗り、四辻を廻って祝福を受ける。

語り部が続けた。
「カジマヤーには、“龍蛇族は永遠に”の意味もあります」
「は〜、草薙の剣もカジマヤーも龍蛇族の証?」
「そうだと思います」
「では、その別名である天叢雲の剣は?」
「それが、大陸から戻ってきた龍蛇族の証では」
「ああ、神剣はふたつあった…」

三種の神器のひとつ神剣はひとつではないと、
語り部は、かねがね言っていた。

景行天皇の時代、東国へ向うヤマトタケルに
倭姫から手渡されたのは「天叢雲の剣」。
駿河国で敵の放った野火に巻かれたとき、
剣で草を刈って窮地を脱したことから、以後、
「草薙の剣」と名付けられたと、日本書紀にはあるが、
神剣がふたつ存在した史実のカモフラージュでは…と。

草薙の剣と、天叢雲の剣が、
国津神と天津神、それぞれのレガリアだったとすれば、
日本神話にも「ムー大陸」伝説は潜んでいたことになる。






























by utoutou | 2015-12-16 15:09 | 神社 | Trackback | Comments(9)
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Commented by at 2015-12-16 19:13 x
utoutoさん、こんにちは!諏訪大社〜、今年のゴールデンウィークに行きましたε=(ノ・∀・)ノ 鹿島と諏訪のレイライン!かつ鹿ラインでもありますね(笑)いやームー大陸。もー、これからどうなってしまうのか、楽しみにしております(>∀<●)ノ ようやく私も吉田大洋さんの本をアマゾンでまとめ買いして読んでおります。もー今まで得た知識と全然違うこと書いてあるので脳みそ崩壊中です(笑)やっと追跡アマミキヨに出てくるクナト大神という神様についての情報が頭に入ってきた気がします!でも、ショックなのはスサノオに関する記述です(。´Д⊂)私はてっきりスサノオは海の民族で日本の古代の王様であり英雄だと憧れを抱いてました。まだその想いは持ち続けてますが、utoutoさんはスサノオの存在をどのようにお考えですか?
Commented by utoutou at 2015-12-18 21:45
> 寅さん
こんばんは。いろいろ廻ってますね!
吉田大洋さんの御本には、実は私にも何ヶ所か違和感のある部分があり、語り部の意見を求めたりしていました。やはり最大の疑問は、私にとってもスサノオです。
で、考えた結果、富族の口伝に現われるスサノオと、我々が英雄視しているスサノオとは、時代が違うのだろうと。
冨族の「侵略者スサノオ」とは、渡来したスサ(メソポタミアの国)の王。いっぽうは神代の王。契丹古伝には、倭(大陸から日本列島まで広範囲を網羅した古代国家)統治していた神として出て来ますが、たとえばそうした大神。クナト神とスサノオの関係とか類似性については、私自身もう一息といったところです。

Commented by at 2015-12-19 16:11 x
utoutouさん、ご返信ありがとうございます!なるほど、別人(´∀`∩ いやースサノオファンとしてはホッとしました(笑)確かに吉田大洋さんの本は私も感覚としてうーむと思ってしまうところがありますが、新たな視点や情報を与えてくれるので、このまま読破したいと思います!今、弁財天を読んでて、面白いです。
Commented by mikumano at 2016-01-17 12:20 x
気になっている事が書かれてありますね・・・神霊としての素戔嗚尊、徐福をモデルとするスサノオさんは違うのかも知れないですね!
手元にある「ひふみ神示」という著書では、国常立尊と素戔嗚尊は重要な存在のように書かれています。猿田彦さんと素戔嗚尊は同系列ではないかと妄想しています。

秦氏が建立した伏見稲荷大社さんにサルタヒコさんというか、山の神 荷田龍頭太さんも大切に祀られているようだし、熊野の山中にはウカノミタマと庚申様(幸神)がならんで祀られていたりしています。封印されたとも考えられますが、どちらかというと神話性の方が感じられます。摩訶不思議な古代日本(微笑)
Commented by utoutou at 2016-01-19 08:13
> mikumanoさん
おはようございます。熊野で断片的に感じたのは、神の封印は存在否定ではなくて、神格とか神名の変更というかたちで表れるのだなということでした。すると当然、裏信仰が始まる。ただ神名とはもともと人が自然神に付けたもの。今回、三光信仰に下村氏の著書で出会ったとき、熊野の神観念の根っこを見たように思いました。なので、もっと山道を歩きたいと思います。惹かれるのは熊野古道というより熊野古々道ですね。やはり御嶽(うたき)です。笑

  
Commented by mikumano at 2016-01-19 10:34 x
熊野川を遡って行った流れとは違う、鬼ノ本町から山越えで北山村・玉置川・玉置山に至るラインに脈を感じます。
そちらの方が古い原始信仰を感じます。矢倉神社・神倉神社・丹倉神社・天ヶ倉・帆ヶ倉・蛇の倉・・・倉がついた場所は、神を降ろした場所に関連しているのではないでしょうか???
次回来訪の際には、神内神社、花の窟神社、産田神社、大馬神社、丹倉神社、日輪さん、まないたさま、龍宮塔もコースに入れて頂けるようご検討下さい。
Commented by mikumano at 2016-01-21 21:24 x
ありがとうございます。早速高額な(笑)中古本を購入・・・本日手元にやってきました。立派な大先輩がいた事に感謝するとともにいくつかのパズルのピースが収まりました。ぱらぱら~~っと流し読みしただけですが、読破した幸の神と竜に繋がる箇所も多々見受けられ興味深かったです。ボクは元々熊野の滝を撮影して周っていたのですが、いつからか“熊野”を意識するようになり・・・熊野を撮影するのには、熊野を知らなくちゃいけないと感じ、今に至ります(微笑)utoutouさんの追跡アマミキヨブログには、検索キーワードでよく拝見させて頂きました。沢山の示唆を頂けた事にとても感謝しています。今後も楽しみにしています。
Commented by utoutou at 2016-01-23 14:43
> mikumanoさん
いろいろとご案内ありがとうございます。倉がついた場所は本当に多いですね。沖縄でも倉(庫)は神の天降りる座と言われています。
穴、倉、室…昨日ブログに書きました「火の一族」の住んだ場所が「倉」の周辺かと思っています。天穂日命を崇めたと思われる一族かなと、いま調べているところです。
Commented by utoutou at 2016-01-23 15:01
> mikumanoさん
撮影しておられるのですね。那智の滝、神倉山、花の窟などの迫力ある景観とか、逆に「玉置山は沖見岳と呼ばれた」などという話を知るにつけ、私は海上からの視点を思わずにいられません。海の民が山の民になった経緯に、本当の日本史が隠れているのではと。熊野と出雲の関係も興味深いです。
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