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神武の来た道 ② 天河弁財天

天河神社(奈良県吉野郡天川村坪内)。
正式名称は、大峯本宮 天河大辨財天社。
日本三大弁財天のひとつである。
吉野熊野本宮とも呼ばれる。


下市口から洞川温泉行きのバスで、山道を1時間。
天川川合で降りて、民宿の送迎車に乗り換えた。

この天川村は、
高野、吉野、熊野という三大霊場の中心に立地。
役行者が開山。弘法大師空海もここで悟った。
江戸時代まで、村内に80 もの寺院があった
という修験道のまさしくメッカである。


祭神は、
市杵嶋姫命(いちきしまひめのみこと)
熊野坐大神、吉野坐大神、
南朝四代天皇の御霊、そして、
神代天之御中主神より百柱の神々。
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12月17日午後4時、境内は無人、社務所も無人。
 お正月準備の飾りが、新春の華やぎを窺わせた。
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さて、神武との関わりと言えば、
熊野から吉野川を北上する際、この地の磐座で
「ひのもと」という言霊を得たという伝えがある。
また壬申の乱に勝った天武天皇は、そこに着想して
「日本」という国名を定めたとも言われている。


その「ひのもと」の磐座はどこに?
本殿の建つこの琵琶山にと言われるが、では 
本殿のどこに?と訊ねる相手もなく、見上げると雪…。
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大峯山系は標高1000〜2000mだが、祈りの力
からか、むしろ洗練された霊威が漂う、気がする。


摂社・五社殿の祭神は、立て看板によれば、
(写真奥から)龍神大神 弁財天の化身なる龍神の神
大将軍大神 八つの杜の内森本神社ご祭神
大日霊貴神 天照大御神の御別名
天神大神 菅原道真公
大地主神 琵琶山の地主神
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五社殿前に、奇妙な形の石が祀られていた。
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【天石の云われ】
大峯弥山を源流とする清流は天の川の注がれ
坪内(壷中天)で蛇行し、その形は龍を偲ばせる。
鎮守の杜、琵琶山の磐座に弁財天が鎮まり、
古より多くの歴史を有す。この地は
「四石三水八ツの杜」と言われ、
四つの天から降った石、三つの湧き出る清水、
八つの杜に囲まれし処とされ、神域をあらわす。
その内、三つの天石を境内に祀る。
(一つ階段右、二つ五社殿、三つ裏参道下行者堂左)
※以上、案内板の銘文。



↓二つ目の「天から降った石」を覗く。
この天石は隕石ということなのだろうか。
ではもう一つ、四つ目の天石はどこに?
それは本殿の地下深くに隠されている…が「定石」
だろうなどと思い、ヘタな冗句にひとり苦笑。
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拝殿に入り、本殿前の能舞台を見上げる。
拝殿内は暗闇、センサー感知で自動点灯する仕組み。
それを知らなかったので、瞬間ドッキリした。
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特別な形の五十鈴(←天川弁財天HPを参照)。
社伝来の神器で、天照大御神が天岩戸に籠ったとき、
天宇受売命がこの神代鈴を付けた矛で舞ったというが、
「やはり五十鈴か」と、見上げつつ思う。
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天宇受売命が舞ったとき持っていたのは、
『古語拾遺』によれば「着鐸の矛」だという。
鐸(さなぎ、褐鉄鉱の塊)を付けた矛(かや)。

鐸が密生した矛を振ると、乾いた音がしたのが
鈴の語源だと『古代の鉄と神』(真弓常忠著)に。

神代鈴の由来は、ここが製鉄の原料であるスズ
の産地だったことを示すが、平安時代には、宮廷
鎮魂祭の呪術に名残を留めるのみになったらしい。


『古事記』によれば、神武がここ吉野に来たとき、
尻尾の光っている人が井戸から出て来たという。
「汝は誰か」と問うと、こう名乗った。
「私は国神、井光(いひか)」と。次に磐石
を押し分けて出て来た人は、こう名乗った。
「石押分(いしおしわけ)の子」と。
光ある井戸とは、水銀(または鉄砂)の坑口、
磐石も鉱産物の存在を暗示すると、真弓氏。

吉野における修験道のはじまりも、ここに
豊富な鉱物資源があったからに他ならない。
吉野熊野の鉱床を求めて山中を跋渉したのが、
山伏だった。彼らが法螺貝を吹き鳴らすのも、
中央構造線の鉱脈を探る呪術に発しているとも。

ひるがえって、神武の時代。
推測するに、この地の地主神は龍神だった。
神武の目的は侵略支配ではなく、新旧の製鉄
技術の統合再編にあったのではと、ふと思う。
神武もまたワニを母に持つ龍蛇族だったからだ。

大和朝廷の初代天皇・神武。
日本や天皇の名が天武時代に始まるとすれば、
神武の時代に天皇の言葉はまだない。

その言葉を使い、記紀の影の作者が、大和朝廷
の成立を神武の時代に早めて脚色したのだろう。
神武は東征して各地の民々を帰順させたのだと。


翌朝、6時半に拝殿で行われる朝拝に参加した。
素晴らしい神事で、大祓詞などが奏上された。
別名・中臣祓詞。中臣氏が台頭した7世紀の作。
それ以前の悠久の歴史は、弁財天に姿を変えた
縄文の女神や、男神や、あの天石とともに、
地下の奥深くに隠されたままのように思える…。


本殿を出ると、集落が白い雪に覆われている。
霊山の尾根に、法螺貝の音が鳴り響いた。
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by utoutou | 2015-12-28 18:08 | 神社 | Trackback | Comments(0)
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