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神武の来た道 ③ 熊野本宮大社

熊野本宮大社(和歌山県田辺市本宮町)。
鳥居から長い階段を登って着いた拝殿は
既にお正月の設えで、お猿さんに迎えられた。


拝殿の奥に見えるのは、社殿の中央・第三殿。
左から射す陽光に映えて人影のない神域が眩しい。
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祭神は、家津美御子大神(けつみみこのおおかみ)
亦の名は素戔嗚尊(すさのおのみこと)
相殿には、速玉大神(左、はやたまのおおかみ)
熊野牟須美大神(さらに左、くまのむすみおおかみ)
事解之男神(ことさかのおかみ)
天照大神(右)、結ひの神(さらに右、八百萬の神)。
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旅の2日目、この日は天河弁財天のある天川村
から、路線バスを乗り継いで熊野本宮大社
まで、紀伊半島を一気に南下した。
天川村を朝7時半に発ち、計7時間の長旅。

とはいえ、吉野川〜十津川〜熊野川への川沿いの道
は圧巻の景色で、↓田辺から熊野入りして熊野川に
達したときは、海原とも見まがう大河の流れに感嘆。

奈良交通の日本一長い路線バス(特急)の
運賃キャッシュバックキャンペーンは3月まで。
(私はコレで7500円トクしました)
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停留所が167ある八木(奈良)〜新宮(和歌山)バス
だが、熊野本宮大社にはオンタイムの14:23に着いた。
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さて、神武と熊野の関わりは、
火明命の子・高倉下(たかくらじ)が、
布都御魂(ふつのみたま)なる剣を献じて
出迎えたこと、また疲弊した神武軍勢は立ち直る
   と、高皇産霊神が八咫烏の到来を告げたことだった。  

その八咫烏には、境内のあちこちで出会う。
サッカー協会のキャラクターとしてお馴染み。

八咫烏は熊野三山(熊野本宮大社、
那智大社、速玉大社)に共通する「導きの神鳥」。
八咫烏の幟も、お猿さんが描かれた初詣バージョンに。 
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さて、本宮大社から500m離れたところ、
大斎原(おおゆのはら)に日本一の大鳥居が立つ。
古来、ここは熊野川・音無川・岩田川という三本の川
の中州だったという。この地こそが旧来の社地だった。
飛鳥時代(615年)に社殿が建てられたと伝わる。

今の8倍の規模を誇ったという社殿は、しかし、 
明治22年の洪水で甚大な被害を被ったため、
上四社が現在地に遷移、下四社と摂末社が残留。
平成23年に紀伊半島を襲った豪雨で、
再び被災したことは、記憶に新しい。
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大斎原に向う道すがら、地主神の拝所に遭遇。
石碑に「地主神」と標されている。
一段高い平地に、現代的デザインの建物・熊野世界
遺産インフォメーションセンターの屋根が見える。
かつての垣内は、いま日陰の路傍に。
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そのとき、ふと思った。
地主神は古来、もしや音無川に沿って、
つまり中州の水際に祀られていたのではないか。
上流の山間には船玉神社も鎮座しているらしい。
熊野に先住したのは、古代海人だったのだと思う。

八咫烏の三本足は「天地人」を表しているという。
思えばスサノオは、沖縄ではこう呼ばれる。
天地大神様(あめつちのおおかみさま)と。
その大神のことが思い出されてならなかった。







by utoutou | 2015-12-31 06:00 | 神社 | Trackback | Comments(16)
Commented by mikumano at 2015-12-30 22:11
熊野にようこそ!
龍神 ウカノミタマ 稲荷大神 豊受大神 国常立尊 猿田彦大神は同神の可能性が高いです。
最初に海の彼方から来た先住民がおり、そのあとに徐福の系統⇔物部東征。

古代熊野を探求する者です。
新宮の産土さんは猿田彦大神。熊野の沿岸には龍宮に因んだ伝説があります。
いつもインスピレーションをありがとうございます。
次回来られる時は、ご案内させて下さいね(微笑)
Commented by 徹平 at 2015-12-31 20:44
utoutou様、こんばんは。
ルートをさかのぼると、意外と面白みが増しますね。
今年は、お話し会などお世話になりました。
来年も心踊るブログを楽しみにしています。
Commented by utoutou at 2016-01-02 00:42
> mikumanoさん
こんばんは。熊野いいですね。もうまた行きたくなっています。
龍神の同神説や渡来順序、同感です。沖縄との関係は予想以上に深いと感じました。
琉球八社のうち七社がなぜ熊野大権現を祀るのか、このシリーズの後に考えてみたいです。
次回の熊野ではよろしくお願いします。笑
Commented by utoutou at 2016-01-02 01:30
> 徹平さん
新年明けましておめでとうございます。
年末に話題にした五色の龍が弊立に飛んで行ったという言い伝えのアマチジョーガマは、戦後、ある神女おばあと仲間たちがお金を出し合って、拝所として整備し直したそうです。いまアマチジョーガマの入口に立つ石碑には、M・Yさんはじめその名前が列記されています。
おばあたちはみな霊能力のある人たちで、携帯電話のない時代にも自然発生的に集まり、御嶽を廻っていたといいます。御嶽でお互いの見えるものを確認し合って、秘史を解明しようとしたわけですね。そういうことをこのブログではやりたいと思ったことでした。今年もよろしくお願いします。
Commented by 社宮寺ルリコ at 2016-01-02 16:07
はじめまして。
毎回ワクワクしながら拝見しています。
熊野本宮神については出雲熊野大社との関係が謎ですね。
出雲熊野大社は元々出雲大社よりも格が上。出雲大社に火種を貸し『亀太夫神事』でも優位です。
ご祭神『櫛御気野命』は食物神=スサノオ神とされますが、吉田大洋説系ではクナト=クマノ、クナトノ大神と瀬織津姫、と…
Commented by 社宮寺ルリコ at 2016-01-02 16:10
出雲熊野大社では、「有馬氏が出雲より紀伊に移住の際、熊野本宮へ分霊した」とされています。
一方で、菊池展明氏は718年の熊野本宮神の東北『室根神社』への分霊の話の中で、実は熊野本宮神も瀬織津姫神であるとの説を展開していました。
大斎原の地主神とは、瀬織津姫神(+クナトノ大神)かも?と妄想しています。
Commented by utoutou at 2016-01-03 09:10
> 社宮寺ルリコさん
こんにちは。菊池氏は熊野本宮神も瀬織津姫だという説を書いていましたね。『エミシの国の女神』『円空と瀬織津姫』どちらでしたか…とにかく本を久々に引っ張り出しました!
大斎原(音無川)の地主神についての妄想(笑)は私も同感で、実は熊野から戻って日が経つほどその想いは強くなってきています。
また熊野本宮大社で見た祓戸大神、那智の滝の滝神、玉置神社の住所が玉置川一丁目というのも気になりましたし、何より玉置山の巨大な磐座が男女神として祀られているのには驚きました(これについては後日投稿したいと思います)。
話変わって出雲との関連では、出雲の熊野山にも音無滝神社という神社があるとか。大斎原も音無川(里)。同一地名に意味があるならば、出雲熊野大社が古いのであって、出雲大社が古いのではないと、いまは考えています。妄想した後の、アクセルとブレーキを同時に踏んでる感じ、私は嫌いではないですね。笑
Commented by 社宮寺ルリコ at 2016-01-03 18:34
返信ありがとうございます。
私はネットでの勉強が中心の初心者なので、本は読んでいないのですが(汗)、菊池氏は熊野本宮神についてブログでも詳しく書いていらっしゃいました。
妄想(笑)に賛同して頂いて心強く思いますが、クナトノ大神についての証拠が中々見つからず…
主様の今後の展開に期待していますね。
Commented by 社宮寺ルリコ at 2016-01-03 18:36
音無川と言えば東京北区に石神井川の別名で存在し、吉宗が紀州を懐かみ名付けたそうですが、この辺りの支配者・豊島氏は桓武平氏の流れで九曜紋を掲げ、鈴木氏と共に熊野神社を郡内に沢山勧請した事で有名です。支流・葛西氏も東北で瀬織津姫神社を沢山建てたそうで、瀬織津姫神が密かに信仰されていたように感じています。
Commented by at 2016-01-04 18:58
utoutoさん、あけましておめでとうございます!今年もブログの更新楽しみにしてます(>∀<●)ノ出雲と和歌山の熊野大社興味深いですよねー。出雲の熊野大社と出雲大社の関係も。ご存知だと思いますがお蔵入りしちゃった素人小説の取材に出雲に行く前になんとなくグーグルマップをずっと見てたら、なんと出雲に八雲山が二つあるじゃないですかー(゚Д゚;∬ 一つは出雲大社の裏、もう一つは出雲熊野大社の左後ろ。いやー、もう熊野大社の脇道からレンタカー走らせて、狭い田舎道を突っ走り、登山道までつきましたが登るの怖いのでやめました(笑)でもすぐ次の目的地の須我神社の裏手に整備された登山道があって登りました、多分元祖八雲山。途中圧倒される磐座の夫婦岩があって、ここはスサノオのお墓じゃないかと思ったり。八雲山だけじゃなく、蛇山も二個あったような薄い記憶が…。出雲も和歌山の熊野も謎がいっぱいで楽しいですねー(>∀<●)ノ
Commented by mikumano at 2016-01-05 09:46
古代出雲系のブログです。多分大元出版に関係する方が管理されていると思われます。
http://blog.goo.ne.jp/yochanh1947-kodaiizumo
Commented by utoutou at 2016-01-05 14:19
> 社宮寺ルリコさん
こんにちは。こちらでまとめて返信にて失礼いたします。
菊池氏のブログそうでした。私も飛んでみると熊野に関しての内容は初見ではありませんでした。が、那智大社と瀬織津姫については初めてで、そんなに多くの史料があったのかと驚愕。というか、この話も菊池本に載っていたのですよね。再読します。
沖縄の古代から始まり、本土の神社については泥縄式の学習ですので、熊野に関しては今回初めて行ってみるまで興味のポイントもボヤけていましたが、お陰さまでよい刺激になりました。
音無川、興味深々ですね。出雲にしろ江戸にしろ、移住先の川に命名するなら熊野川のほうがよさそうなものですが、もしや「瀬織」つまり「滝」が重要だったのでしょうか。天と地をつなぐものとして。  
Commented by utoutou at 2016-01-05 14:37
> 寅さん
あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。
熊野大社、そうですね。熊野へ行くと、出雲の熊野大社へ行きたくなりますね。
八雲山と言えば、「八雲立つ 出雲八重垣 妻籠みに……」というあのスサノオの詠んだ短歌の意味が、語り部によれば、記紀にあるのとは違うらしいのです。その話を聞いたのは数年間のこと。私は出雲に行って地形を見れば何か分かるのではないかと、以来、秘かに狙っています(笑)。八雲立つ…の謎、小説なら行けそうですね。いかがでしょう!?
Commented by utoutou at 2016-01-05 15:02
> mikumanoさん
情報ありがとうございました。斎木雲州氏の書籍は、大元出版さんで刊行されていたのですね。実は以前、『出雲と大和のあけぼの』を出雲大社近くの土産物店で購入して貴重な資料だと思っていましたが、斎木氏のことを出雲の郷土歴史家の方と早合点しておりました。著書多数のようで興味深いです。
古代出雲系ブログも拝見。多氏に関する内容に目から鱗が落ちました。確かに出雲王家の系図を熟知している方の卓見ですね。ことに天叢雲に関する記述。参考にさせていただきます。
それから、ひとつ前のコメントにありました熊野の山中にあるという「人物神誕生以前の信仰の場」、是非今度教えてください! 沖縄の御嶽信仰と似ているでしょうか。
Commented by mikumano at 2016-01-12 06:49
熊野には、物部東征時点ですでに丹敷戸畔という女性のシャーマン?が居られたようです。
新しい神様が熊野川を遡り、大和に至ったのだと思います。
それは種族の移動を意味すると思います。

熊野の山中には、自然?人工的?に置かれた夫婦の磐座が残っています。
それは明らかに人物神の動きとは異なるように思います。

アニミズム・磐座信仰・精霊信仰。
ちなみにもう一つ・・・神倉神社の太鼓橋を渡った正面に神倉三宝荒神社・猿田彦神社がありますが、そこの看板には「神倉山麓には、天孫降臨に「導きの神」のご神徳が高く「天狗さま」として親しまれた猿田彦命の神社が、明治の御代まで鎮座していました。」現代神倉神社の御祭神は、高倉下と天照大御神・・・参拝されているおじさんたちにお聞きすると、「新宮の産土さんは、猿田彦」。伊勢の土着神も猿田彦(笑)伊勢二見の興玉神社の興玉神石から紀伊半島の海岸縁には、サルタヒコや竜宮城をイメージする場所がたくさん残っています。沖縄に玉城、十津川に玉置、伊勢に玉城。二見に興玉・・・

あなたのご推察をお借りいたしますと、どうも海の彼方を遙拝しているように感じます。

この国が収まらないのは、何かその辺に秘密があるように感じています。
Commented by utoutou at 2016-01-13 22:39
> mikumanoさん
こんばんは。いろいろ示唆をいただいて感謝しております。丹敷戸畔は、熊野三所神社で摂社に祀られているとの御由緒を見ました。名草戸畔もそうですが、先住民=土蜘蛛の女首長だったと思います。
実は神倉神社の猿田彦神社が気になっていたのですが、いただいたコメントに背中を押されるようにして、さきほどブログを更新しました。
また、先日教えていただいた大元出版さんの御本も購入して積んであり(笑)ます。斉木氏が、まさかあの冨氏のご子息だったとは驚きました。ありがとうございました。
猿田彦は玉置神社にも大いに関係ある大神だと思っています。
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