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神武の来た道 ④ 熊野三山奥宮 玉置神社

玉置神社(奈良県吉野郡十津川村)。
標高1076m、霊峰玉置山の山頂近くに鎮座。
創祀は崇神天皇の時代。熊野から吉野に至る
修験道として拓かれた大峯奥駈道の十番目の霊場。
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'04年にユネスコ世界遺産として登録された
「紀伊山地の霊場と参詣道」の一部である。
前日は天川村を出て、バスに乗る前に吉野神宮
に寄ったので、吉野〜天川〜熊野本宮〜玉置山と、
ほぼ大峯奥駈道をバスで逆走破したことになる。


大峯山系の最南端で別名「沖見山」と呼ばれる。
天気がよければ熊野灘が望めるというから、
神武も、来た道を振り返ったか…という立地。
左が熊野本宮方面、中央が龍神方面。
雲海を冠した稜線はまさに龍神の背に見えた。
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神武は東征中この地で兵を休め、
十種神宝の玉を鎮め置き、武運を祈願したのが、
神社名玉置の由来。道案内は八咫烏とされる。


「十津川村の人々は八咫烏の子孫」というが、
一体どこから来てこの山深い南大和に先住したか。
樹齢3000年になんなんとする巨杉を
見上げつつ、そればかりを思う。
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ともあれ玉置山の神域へは、
十津川村のホテル昴で借りた車で30分走り、
昼なお仄暗い杉木立を20分歩いた。土曜だった
が、十津川村役場バスは冬期休業中で、この日
出会った参詣客はわずか2組のみ。


祭神は、国常立尊(くにとこたちのみこと)

     伊弉諾尊(いざなぎのみこと)
  伊弉冊尊(いざなみのみこと)
  天照大御神(あまてらすおおみかみ)
  神日本磐余彦尊(かむやまといわれひこのみこと)


こちらの鳥居も正月初詣の準備が完了していた。
駐車場は70台ほどのスペースがあったので、
正月は参詣客で賑わっているに違いない。
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↓摂社・三社神社。この参道も大峯奥駈道の一部。
祭神は、倉稲魂神(うがのみたまのかみ)
 天御柱神(あめのみはしらのかみ)
 国御柱神 (くにのみはしらのかみ)
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三社神社から10分、さらに急峻な山道を登ると
9合目あたりに末社・玉石社が鎮座している。
祭神は、大巳貴命(おおなむぢのみこと)
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三本の巨杉の中から頭を出す黒い磐座。
こちらが、熊野三山のいわば御神体だ。
日本という極東の島々の成り立ち、その鍵を
握るはずの「玉石」に神武は、いや神話の作者は
どのようななメッセージを託そうとしたのか。
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紀伊半島を縦貫する大峯山系の南端・玉置山。
北端近くの天河神社に祀られる弁財天。
修験僧や山伏といった非農耕の民が信仰した女神
の社域にも、思えば磐座が鎮まっていた。

黒く光り霊気を発するこの玉石は、大巳貴命。
もしや天河と一対になっているのではないか。

天河の奥宮・弥山と玉置山がつなぐ大峯山系、
このレイラインを北に伸ばせば、橿原神宮の地。
そして南に伸ばせば…熊野灘…そしてその先は
ムー大陸? まさか……霊気に当たりすぎたようだ。

天河弁財天と玉置神社の磐座については、
語り部の意見を求め、後日続編を記そうと思う。








by utoutou | 2016-01-01 17:52 | 神社 | Trackback | Comments(2)
Commented by Jama at 2016-01-10 22:43
天河と玉置は対ですよ。
Commented by utoutou at 2016-01-11 16:38
> Jamaさん
ありがとうございます。そのように考えております。
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