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神武の来た道 ⑥ 神倉神社

神倉神社
(熊野速玉神社摂社、新宮市神倉)。
那智勝浦大社から北東へ車で20分、
新宮市内最高峰「千穂ヶ峯」の東南端にある
神倉山(120m)の山頂付近(80m)に鎮座。
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速玉大社の摂社だが、奥の院とも言われる。
熊野大神が最初に降臨したのがこの聖地だと。

速玉大社の御由緒によれば(要約)
まず熊野三山の中心となる速玉大神、
 結大神(夫須美神=当社と那智大社主祭神)、
家津美御子(本宮社主祭神)という三柱の神が
神代の頃に神倉山に降臨した。次に
景行天皇の代に新社殿を創祀、結(夫須美)
速玉の二神を祭祀したので、旧社(神倉山)
に対して新宮と号したという。
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祭神は、高倉下(たかくらじ)
天照大神(あまてらすおおみかみ)。

思えば、境内に入ってすぐに石碑があった。
〜神武天皇紀 至熊野神邑 且登天磐盾〜
(神武、熊野の神邑に至り天磐盾に登る)

日本書記にいう天磐座は神倉山だと記していた。
が、書記では、神武軍はさらに荒れた海を進み、
荒坂の津で高倉下と会い太刀を授かったはずで、
場所違いでは?(荒坂津は5㎞南の現・三輪崎)
と、思ったが、538段の石段を息も絶え絶えに
登り磐座を目にした途端、屁理屈は吹き飛んだ。


熊野灘を一望。神は降臨したと思える絶景。
下は断崖絶壁らしく、風がふわり舞って流れた。
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さて、
神倉神社と言えば、「御燈祭」が有名。
中上健次が「火まつり」と呼んだ神事は、
毎年2月6日に現在でも女人禁制で行われる。
2000人もの男が松明を手に石段を駆け下る
様は、まさにウネる龍神のようだという。



巨大な磐座の神域への鳥居に、なぜか
扉が付いているが、これは「火まつり」のため。
松明を手に男たちが集まった時点で扉は閉じ
られ、再び開門を待つという劇的な段取り。
女たちは家で男の持ち帰る「火の神」を迎える。
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この「神迎え」は「さかむかえ」と呼ばれる。
(速玉大社発行の冊子『御由緒』より)
沖縄でも、神事から戻った神人を迎えることを
「坂迎え(さかんけい)」と呼ぶ。

高さ10m、巨大な磐座は「ゴトビキ岩」。
カエルという意味だそうで、そんな形。
写真の右手に進むと山道。千穂ヶ峯の
もうひとつの山・権現山へと続いている。
ゴトビキ岩の上には、さらに巨石群が広がる。



後ろ髪を引かれるように下山しようとして、
振り向くと、(日陰で見にくいが)
写真左端の社殿と、写真右手の玉垣の間に
古い石積みの囲いが見えたので、急いで戻った。
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↓ 沖縄の御嶽で言う威部(いび、至聖の拝所)か。
三庫理(さんぐーい)に似ていると思う。
斎場御嶽で有名な、巨石でできた三角の空間。

あるいは斎場御嶽の奥宮とも言われる
ナーワンダーグスク(←過去記事はこちら)
ナーワンダーとは「なでるわ=守護神の霊力」
という意味で、性器を象徴する巨岩がそびえる。

イキガ(男)とイナグ(女)のナーワンダー。
琉球の祖神が眠る古代の風葬墓と言われるが、
現在は立ち入り禁止となっている。


白い小石が撒かれ、供花もある祭祀空間。
ここも、いわばイナグ(女)ナーワンダーか。
時間切れになってしまったのが、悔やまれた。
ここに男女神が眠るとすれば、それは誰なのか。
また、はたして男岩もあるのか…。
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by utoutou | 2016-01-07 19:38 | 神社 | Trackback | Comments(8)
Commented by 徹平 at 2016-01-08 01:17 x
こんばんは。
なんだかこの場所好きです。
落ち着きます。
一度は行かないと、もったいない場所ですね。
Commented by utoutou at 2016-01-08 17:29
> 徹平さん
こんにちは。そうなんです。落ち着きますし、何故か懐かしい思いもしてきます。
やはり聖地と地質には強い関係があるなと、ここへ来て改めて思いました。
地層深く横たわるプレートのぶつかり合いか隆起か分かりませんが、そういう大規模の変動がもたらしたらしい霊気が感じられるというか。斎場御嶽なども、かつて登れたという頂上だと同じ感覚を味わえるかもしれませんね。   
Commented by at 2016-01-08 19:05 x
utoutoさん、こんにちは!神倉神社、私もこの前行きましたー(>∀<●)ノネットで石段が超急と書いてあったのに、またまたみんな大袈裟なんだからーと舐めて行ったら垂直に近い超急でした(笑)朝一で行ったのですが、石段を登った先に何やら動くものが(´ロ`ノ)ノ野良犬か、と思ったら野猿の群れでした|艸`)申年になる前に猿見たのは吉兆の明かしかなんて思ったり(笑)それにしても巨大な磐座でしたね。大きい磐座を見る度に誰がどうしてどうやってこんなところに置いたんだろうと思ってしまいます。自然にそこにあったとは思えなくて。
Commented by utoutou at 2016-01-10 09:50
> 寅さん
こんにちは。あの石段、私もナメてました。笑
で、真ん中ぐらいのお地蔵さんの所で擦れ違った方に「この先も急ですか !?」と聞いてしまいました。「ここからは楽だから頑張ってください」と励まされましたが。
磐座は一度見る価値がありますよね。人類がまだいない超古代の地殻変動でできたのではと思いましたが、戸矢学氏は「隕石だ」と『ニギハヤヒ』という本に書いてますね。なので速玉と呼ぶと。いま読み返したところで、これから磐座の続編を書いてみます。
Commented by 社宮寺ルリコ at 2016-01-10 12:05 x
こんにちは。自然信仰ですよね。ゴトビキ岩(琴引岩)を陽石、花窟神社を陰石として一対に考えるみたいですね。出雲風土記に、よく似た名前の出雲の『琴引山』について書かれているそうで、女夫岩の間にある琴弾山神社に大国主命とイザナミが祀られ、琴に似た岩もあるそうです。倉敷の琴弾岩もちょっとゴトビキ岩に似ていました。
Commented by utoutou at 2016-01-11 16:37
> 社宮寺ルリコさん
こんにちは。そうですね。自然信仰…空気感は沖縄の御嶽と似ていました。
今回、花窟神社に参っていないのが悔やまれます。他にもいろいろ後悔はあるのですが、是非また熊野へ行く機会を作りたいです。
出雲や倉敷の琴引山も、名前は知っています。熊野からの移動が感じられますね。
あと718年の東北への瀬織津姫の遷移。遷された先が室根神社になったということですが、室根という地名は熊野にありますか? 私は幼少時代の一時期、北海道の根室で過ごしたことがありますが。笑
Commented by 社宮寺ルリコ at 2016-01-12 10:45 x
お忙しい中、返信ありがとうございます。
主様は寒さにもお強そうで、羨ましいです(笑)
確かに『室根』=『牟婁峯』で、熊野由来の地名です。紀州牟婁郡本宮村から熊野本宮神を勧請したためのようです。
イザナミの墓所は日本書紀では花窟神社、古事記では島根の比婆山とされていますが、出雲と熊野は何故か仲良しですね(笑)
Commented by utoutou at 2016-01-13 22:51
> 社宮寺ルリコさん
こんばんは。『室根』=『牟婁峯』のヒントをいただいて分かったことがいろいろあります。ありがとうございました。穴、倉、窟…沖縄ではガマと言いますが、そういった室が牟婁という地名の語源ではないでしょうか。水の神である瀬織津姫は、産鉄の神でもあったと思います。その女神は、時代が下って、天河で弁財天と呼ばれることになったと。このシリーズの最後では玉置神社と天川弁財天の関係を書けたらいいなあと思っています。
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