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神武の来た道 ⑧ 猿田彦神社

猿田彦神社
(熊野速玉神社摂社・神倉神社境内)
神倉神社へと進む太鼓橋の正面に鎮座。
というより、
「千穂の峯」の山麓に鎮座と言うべきか。
祭神は、当然のこと猿田彦大神である。
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実は伊勢神宮に参った一昨年秋、伊雑宮と
猿田彦大神が気にかかり伊勢志摩に4回通い、
確か都合30回ほどブログ記事を書いた。

結果、伊勢元来の地主神は、猿田彦と
瀬織津姫(罔象女大神、美都波女神)
だと知ったのだったが、伊勢と
地続きのこの熊野でも、猿田彦大神が、
千穂の峯の主として祀られていたとは…。

熊野地方に住んでおられる方から、
何度かコメントをいただいたが、やはり、
明治時代までこの山麓に猿田彦神社があり、
「天狗さま」として崇敬されていたという。

私が参った朝も、いまは猫の額のように狭い
境内で、お年寄りが和やかに談笑していた。


愛される産土神であると同時に、猿田彦は、
熊野〜熊野川〜三重と、広範囲に広がっていた
牟婁郡(むろ郡、記紀成立以前からの古地名)
君臨した代々の大地主だったのだと思う。
つまり、この地の先住民族の祖神だったと。
神武の来た道 ⑧ 猿田彦神社_a0300530_12292235.jpg


さて、
前回掲載した1枚の写真(↓再掲)は
神倉山の上に祀られる小さな祠(右)だが、
記事を書いた後、どなたかのブログで、
「満山社」の社名が写る画像を見て仰天した。
満山社とは、瀬織津姫を祀る摂社である。
神武の来た道 ⑧ 猿田彦神社_a0300530_10540776.jpg


満山社は熊野本宮大社の摂社でもある。
その傍で、以下の説明文を見た。


満山社(結びの神・八百萬の神)
〜此のお祀り申し上げている玉石は
親と子の結ひ等、
人と人の縁を結ぶ再生の玉石です。
百五十年振りに御社殿を復興
平成十九年九月二十日〜
神武の来た道 ⑧ 猿田彦神社_a0300530_12553170.jpg


平成19('07)年の150年前に消失とは、
安政の大地震で倒壊したということか?

ともかく、満山社は復活した。
菊池典明氏は著書『円空と瀬織津姫』や
ブログ『月の抒情、瀧の激情 風琳堂夜話』
に「満山社は瀬織津姫を祀る」と記した。
熊野本宮大社に立つ案内板に
「祓いの神(=瀬織津姫)」と明記された
画像と共に。(私自身は撮影を失念、
画像も上記ブログより拝借した)
神武の来た道 ⑧ 猿田彦神社_a0300530_13453306.jpg


自ら撮った熊野本宮大社満山社の画像で、
ここにも梛(なぎ)の木があるのを発見。

熊野速玉大社の御神木としても有名な梛。
いや熊野三山の御神木として、古来、
その葉は神札と同一視されていたという。



思えば、神倉神社でも梛を見た。
神倉神社の威部(いび、沖縄で至聖所の意味)
にも、梛の木がこうして供えられていた。
神武の来た道 ⑧ 猿田彦神社_a0300530_12314865.jpg


梛の木は、今も昔も熊野信仰の象徴。
そして、その原点を、黒潮の源流に位置する
沖縄の古い祭祀に見出すことができる。

梛の葉はアザカ(長実ボチョウジ)と似ている。
ことに、葉が十字に「対生」する性質が。

沖縄方言では、十字になった
ものを「アジケー」とか「アザカ」と呼ぶ。
そのため、アザカの十字に生える葉に、
人々は「聖なる永遠の生命」を願った。

97歳の長寿を祝う祭り「カジマヤー」では、
現代でも、十字の風車を持つ長寿者が、
集落のアジマー=十字路で皆の祝福を受ける。
(↓ 那覇市首里の末吉公園で撮影)
神武の来た道 ⑧ 猿田彦神社_a0300530_12325850.jpg


アザカについては、何度か書いたが、
それは、猿田彦神の象徴だったと思う。

沖縄久高島の古祭イザイホーの最終日、
神女たちは、ハブイ(草冠)の下にアザカ
の葉を挿して円舞を踊った話を書いた。

アザカの葉を飾るのが、神女となった証。
数日間の籠り明け、神女として再生した
女たちが、喜びの円舞のとき胸に抱いた大扇
には太陽と赤い鳳凰が描かれていた。

鳳凰とは、
沖縄方言で、紅の鳥(びんぬとぅい)のこと。
紅の鳥=不死鳥(フェニックス)=火の鳥。

黒潮に乗って熊野へ渡った「火の一族」。
その故郷は、沖縄の島々だったと思う。


















by utoutou | 2016-01-13 22:21 | 神社 | Trackback | Comments(7)
Commented by mikumano at 2016-01-14 10:10 x
猿田彦神社の記事を書いて下さり、ありがとうございます。
玉置山に至る玉置川在住の方に玉置口の山中にサンカ族が住んでいたという事をお聞きしました。
水銀採集をしていたようです。参考になるかどうかはわからないけれど・・・
玉置山の入り口は北山村側 玉置川が入り口だと思われます。入り口に亀岩白竜大明神(磐座)・玉置山の龍神水がございます。
http://www.kumanolife.com/History/kenshi1.html#Anchorsusanoo
Commented by mikumano at 2016-01-14 11:20 x
猿田彦さんは、今も庶民の間では大切にされています。
幸の神信仰の名残として、ここ熊野の地では、かなりの数が残っています。
もともとの稲荷神さまには白狐は一緒ではなかったようです。
白い稲荷と赤い稲荷があるのかも???村の鎮守さまとして祀られているお稲荷さまは白い狐がいないように思います。
ウカノミタマは蛇神さまとして祀られております。
幸神信仰の地に、中国渡来の種族が駆け抜けたように感じます。新宮~本宮はその名残が強く残っている場所。
新しい種族がああしろこうしろと言ったとしても、古来から信仰している神様を変化させてでも信仰を続けて来たのだと思います。
道祖神・庚申・不動明王・弁財天などなど(微笑)
Commented by utoutou at 2016-01-17 10:01
> mikumanoさん
こんにちは。玉置神社に三柱稲荷があり、大巳貴神が祀られていたので、鉱脈があったのだと思いましたが、玉置川の磐座は気がつきませんでした。参考になるサイト、じっくり拝見します。
Commented by utoutou at 2016-01-17 10:20
> mikumanoさん
熊野は古代出雲の出雲神族の「幸の神信仰」が色濃く感じられますね。そもそもバスに乗って南下するのに、天川村を出てすぐに川沿いにお地蔵さんが多いのを見て、これは…と思いました。信仰の対象は、権力から強制されても変わることはなかったのでしょうね。
Commented at 2016-01-24 10:55
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by utoutou at 2016-01-25 07:11
> lovealltheallさん
返信が遅くなって申し訳ありません。40年以上前、沖縄に、香川の植木職人の方が500本の梛の木を育てて植樹されたそうですね。速玉神社の宮司さんは今も毎年沖縄に通い、数年前、宮司さんが登壇されて平和を祈るイベントが沖宮で行われていました。
大馬神社は存じませんでした。次回は是非。調べると、ト部の祖神の天児屋根命が祀られていますね。貴重な情報をありがとうございます。
Commented at 2016-01-27 22:21
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