神武の来た道 ⑨ 阿須賀神社

熊野新宮 阿須賀神社
(新宮市阿須賀1丁目)

熊野川の河口に建つ。朱塗りの社殿が、
後背の蓬莱山に寄り添うように鎮座。


祭神は、事解男命(ことさかおのかみ)
家津美御子大神(けつみみこのおおかみ)
熊野速玉大神(くまのはやたまおおかみ)
熊野夫須美大神(くまのふすみのおおかみ)
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↓ 神倉神社の拝殿(ゴトビキ岩)からの眺め。
中央から少し左に標高48mの蓬莱山が見える。
いかにも神奈備山らしいお椀を伏せたような
その山は、熊野川へと突き出た浅州処(あすか)
にあったというのが、阿須賀という社名の由来。
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JR新宮駅から車で数分。少し迷ったが、
商店街を通り越した小道に鳥居が立つ。
さりげない風情だが、創祀は孝昭天皇の時代と、
熊野三社でもっとも古い(紀元前423年)。


境内からは、弥生〜古墳時代の住居跡が、
蓬莱山では祭祀遺跡が発見されているという。
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境内の案内板によれば、
〜熊野権現は初め神倉山に降り、
次に阿須賀の森に移った。新宮が初めて
書物に文字として登場したのは熊野邑
だが、熊野邑は当神社の古名であり〜
〜阿須賀権現が現在の東京北区飛鳥山へ
勧請されるなど、全国各地に当社の末社が
見られます。〜 

その東京都北区王子にある王子神社は、
南北朝から室町時代まで石神井一円の支配者
だった桓武平氏の流れを汲む豊島氏が勧請。
王子には飛鳥山公園があり、熊野本宮大社
旧社地の禊ぎ川・音無川と同名の川が流れる。
(このことは読者さんからのコメントで知った)

熊野川河口に鎮座する阿須賀神社こそ
熊野速玉大社の元宮であることは、
大社の祭りの様式に現れている。

神倉神社の「御燈祭り」では、松明を掲げた
男たちが石段を駆け下りると、神職一同は
阿須賀神社に報告するという次第。
「神馬渡御式」でも、神馬は本社からまず
阿須賀神社に神馬を引いて行くのだという。



境内の奥まったところに徐福の宮がある。
この地に紀元前3世紀に上陸、居住したという。
「平原光沢の地を得てその王ななった」と
『史記』が記す舞台が、この阿須賀だったか。
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境内の「徐福渡来の記」にも、徐福伝が。
〜不老不死の仙薬を求めて童男童女三千を
率い五穀百工を携えて東海に船を浮かべ、
常世の郷熊野邑即ち飛鳥に来る。
然して子孫此処に止まり繁昌せり〜

最後の一行に、熊野の秘史を感じるのは
私だけだろうか?

あの東京北区の王子神社は豊島氏による
創祀だが、「紀州熊野の鈴木重尚が王子村に
来て豊島氏と図った」と『新編武蔵風土記』に。

鈴木氏こそは、
神倉神社の祭神・高倉下命を祖とする、
というより饒速日命の後裔といい、
熊野速玉大社の宮司家・鈴木(穂積)氏という。
そして、
熊野三党の一角(他二党は、宇井、榎本)。
高倉下命が神武に遣わせた八咫烏とは、
その熊野三党のことだと言われている。

そこで、私は思った。八咫烏とは
「此処に止まり」し徐福の子孫ではないかと。



阿須賀神社のすぐ北に、徐福公園がある。
極彩色の唐門の奥は、陽の当たる広場。
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公園の正面に徐福像が立っている。
徐福の墓もあり、男性が祝詞を奏上していた。
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徐福。このブログのタイトル「mintun」は、
沖縄アマミキヨの居住地・ミントングスクから
頂戴したが、その明東にも徐福伝説があり、
(記事はこちら
また久高島にはハタスと呼ばれる神田がある。

新宮のお隣り、三重県の熊野市にも、波田須
(はたす、旧名は秦住)という徐福渡来地がある。
久高島のハタスも、秦氏や徐福に関係がある
証拠だと、語り部は見ている。






by utoutou | 2016-01-15 22:37 | 神社 | Trackback | Comments(3)
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Commented by 社宮寺ルリコ at 2016-01-17 13:11 x
こんにちは。詳しく書いて下さり、ありがとうございます。
飛鳥(山)=阿須賀。古い元宮で重要な場所なんですね。
鈴木・穂積氏は、豊島氏以外でも熊野神勧請に関してよく見かけました。
例えば、室根神社(業除・舞根)や新宿十二社etc
主様の『青麻神社』の記事にも登場しましたし…
熊野とニギハヤヒ神との関わりも謎ですね。
Commented by 社宮寺ルリコ at 2016-01-17 13:16 x
主様の記事で、熊野三山はおのおの独自の歴史があるように感じました。
八咫烏は鴨氏、徐福、鈴木氏なども絡んで謎が深そうですし、出雲神族や猿田彦神等がどのように熊野に関わってくるのか、今後楽しみにしています。
個人的には、阿須賀神社が、かつて三狐社だったことに若干引っ掛かりを感じてはいますが(笑)
Commented by utoutou at 2016-01-19 08:35
> 社宮寺ルリコさん
おはようございます。いろいろヒントをいただき感謝しております。三狐社については驚きでした。玉置神社と阿須賀神社に共通する三狐神については私も気になっていたので。熊野三山で頻繁に出会う「三」という数字は、沖縄でも聖数とされますしね。
もっと見ていきたいのは、穂積・鈴木さんの祖先かもしれない徐福と物部と八咫烏の関係です。そして熊野の「室」とか「倉」に先住していた人々。神武東征神話の意味。ようやく長いプロローグが終わったなという感じです。
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