神武の来た道 ⑩ 熊野三所大神社

熊野三所大神社
(那智勝浦市浜の宮)

3泊で廻った天川〜熊野旅の終わりに、
1時間ほど余ったので、新宮から再び
那智山の麓へとUターンして、
補陀落山寺(ふだらくさんじ)へ。

補陀落山寺については、琉球八社との関わり
を交えていずれ書きたいと思っているが、
隣りに鎮座しているのが、熊野三所大神社
(くまのさんしょおおみわやしろ)。


祭神は、熊野三所権現である、
家津美御子大神(けつみみこのおおかみ)
夫須美大神(ふすみのおおかみ)
速玉大神(はやたまのおおかみ)
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熊野三山を廻り、神仏混合の名残りで
本地仏と並び称された神名に接してきたので、
神名だけがすっきり並ぶ案内板を前にして、
熊野の神様は、結局この三神なのだと納得。
しかも拝殿はなく、本殿の前で参拝ができる。

摂社(石宝殿)は、案内板によれば…
丹敷戸畔命(地主ノ神)
三狐神(食物ノ神)
若宮跡(浜ノ宮王子社跡)

丹敷戸畔(にしきとべ)は、日本書紀
神武東征の段に登場する先住族の女首長。
たった一行だけ、記されている。
〜(天皇は)熊野の荒坂の津に着かれた。
そこで丹敷戸畔という女賊を誅された。〜
(宇治谷孟・訳『日本書紀』から引用)

神武(軍)に殺されたと伝わりながらも、
2千年の時を越えて祀られる女賊(姫?)。
「丹」とつくその名は、古来この地で水銀の
 採掘が行われていた証か。大いに気になる。

   もうひとつ気になったのは、摂社・三狐神。  
案内板に「食物ノ神」とあったのだが…。


振り返れば、
阿須賀神社の摂社にも稲荷神社があった。
古来、こちらは三狐神社と呼ばれたそうだ。
徐福の宮(写真右)と並んで祀られていた。
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阿須賀神社の摂社・稲荷神社(右)。
小社だが、本殿の真横に堂々の鎮座。
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三狐神は、熊野三山
の奥宮・玉置神社摂社の三柱神社にも
祀られている。三柱とは「由緒」では
倉稲魂神、天御柱神、国御柱神となって
いるが、その実、鍛冶神ではないのか。
と、私は思ったが、そうでもないらしい。


『玉置山権現縁起』によれば、
三狐神とは「天狐・地狐・人狐」のことで、
「阿須賀を本拠とし、その本地は極秘の口伝」
というから、これまた非常に謎めいている。
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いっぽう「三狐神=三光神」との説がある。
新宮市出身の下村巳六氏は、著書
『熊野の伝承と謎』('95年、批評社)に、
次のような独自の考察を記している。

〜三狐神は採鉱・鍛冶の神である。
稲荷信仰と結びついて、三光が三狐へと
変わったのだろう。
三光には、「太陽・月・星の三つ」の意の外
に、「キラキラ光り輝くもののたとえ」の意
がある。〜つまり、三輪、三光の旧い信仰が
三狐の名称によって故意に隠されている
疑いがあるのだ。〜

太陽・月・星の三光信仰。それこそ、
古来、沖縄で「お三つもん」と呼ばれた
「火の神(ひぬかん)」のことなのである。
戦前まで、沖縄の家庭ではどこも、
カマドに三つの石を祀っていたという。























by utoutou | 2016-01-18 20:53 | 神社 | Trackback | Comments(2)
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Commented by mikumano at 2016-01-19 10:17 x
いつもありがとうございます。
こちらの神社の宮司さん曰く・・・丹敷戸畔の祠は地主神としてもともと木造の社に祀っていましたが、神武天皇にはむかった者を立派な社殿に祀るのは恐れ多いということで石の祠にしたそうです。もともとこの渚の森の住民は地主神をそのまま中心に祀りたい意思があるのだと思います。元宮?が山中にありまして、山の神 狐の神と彫られた石が置かれています。ちなみに私は、路傍のサエの神がなんかその前の信仰に繋がっていると感じています。
Commented by utoutou at 2016-01-23 14:36
> mikumanoさん
丹敷戸畔の石祠、裏に何かお祀りされているのかなとは思っていました。神武にはむかった者が…畏れ多い…とはなんと慎み深い話でしょうか。そして貴重なお話ですね。
そうした伝承を聞くと、神武の東征譚は実はヤマト神話とは少しニュアンスの違った物語なのでは?と感じます。大和の中央集権化よりはるか昔の話、大物主の娘と結婚した神武は、一大族長になりはしましたが、その経緯は必ずしも殺戮ばかりではなかったのかなと。
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