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神武の来た道 ⑬ 玉置神社末社・白山社

積雪のため、いまは一部交通規制もある
という、奈良県吉野郡十津川村。
玉置神社も既に雪に覆われているそうだ。
私が参った12月中旬、村営バスは冬期休業に
入っていたが、幸い雪には見舞われなかった。


玉置神社境内、
枕状溶岩の露頭が見られるこの参道は、
世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」の一部。
この参詣道沿いに、
玉置神社末社・白山社が鎮座している。
祭神は、菊理媛神(くくりひめのかみ)。
神武の来た道 ⑬ 玉置神社末社・白山社_a0300530_13093618.jpg


菊理姫命は『日本書紀』に一度だけ登場する。
黄泉の国から逃げ出そうとするイザナギと
イザナミが言い争った黄泉比良坂の場面。
姫神の仲裁で、無事イザナギはこの世に帰る。

この世とあの世をとりなす役の女神。
菊理媛神は山の民の地母神とも言われる。
神武の来た道 ⑬ 玉置神社末社・白山社_a0300530_08354622.jpg


↓ 磐座の上部に見えるのは、枕状溶岩の露頭か。
(玉石社の神体石も、同じく露頭と言われる)
南洋の深海に噴出して冷却したマグマ。
その火の山。火の神の住まう処。

古代、この地に渡来した人々は、古代琉球
と同じ、火(ホ、女神)火(ヒ、男神)の
一対神を畏れ崇めたのだろう。語り部曰く、
後に天穂日命(あめのほひのみこと)の神名が
つくことになる、地球というガイアの火の神を。
神武の来た道 ⑬ 玉置神社末社・白山社_a0300530_09161524.jpg

この山は、火の山脈への入口でもある。

玉置山から北へ、八劔山を経て山上ヶ岳へと
連なる大峯山脈は、紀伊山地のいわば基軸。


大峯山脈の玉置山から南方を見ると、
東側(写真左)へ西(写真右)へと、
東西方向に山並みが延びているのが分かる。
神武の来た道 ⑬ 玉置神社末社・白山社_a0300530_16410688.jpg


東西に渡るいくつかの山列は、太古の昔
南太平洋から押し寄せてきたプレートで、
三波川帯、秩父帯、白亜紀四万十帯、
第三紀四万十帯と呼ばれるという。

逆に言えば、複数のプレートに東西から
圧縮されて隆起し、1000mを越す
急峻な山々となったのが紀伊山地。

そんなわけで、
古代の紀伊・熊野地帯は、鉄、水銀、金、
銀銅などが採鉱できる鉱床地だったようだ。

神話に語られる神武東征は、浪速で長脛彦
に打撃を受けたため熊野へと迂回ルートを
とったことになっているが、本当の理由は、
記紀編纂の時代になっても、依然豊富な
鉱物資源を、ヤマト政権が掌握している
ことを示すためだったという説がある。

神武の来た道とは、この熊野から吉野へと
連なる鉱脈だったのだろうと、私も思う。

先住民の住んだ熊野の旧名が牟婁郡だった
というのも、偶然ではないのだろう。
   玉置山は、異名を牟婁(むろ)山ともいう。  

それでは、「牟婁」とは何か。
『日本の地名』(鏡昧完二著、角川新書)
には、次のようにある(要約)。

〜Muro ムロ(1)山で囲まれた所で、
小さい入り江や河谷の小盆地を言う。
[室生(ムロー)]・牟婁(ムロ)
(2)神社または、その森。
(3)古墳の石室、縦穴住居。

そうか…「牟婁」とはやはり「室」。
沖縄で言う洞窟(ガマ)だったに違いない。

ムロ、ガマに住んだ民…。
牟婁郡に住んだ人々とは誰でしょうね?」
語り部に聞くと明快な答が返って来た。

「穴師だと思います」
私は、穴師坐兵主神社を思い出した。
「穴師とは産鉄民のことですね?」
「はい、ティダが穴にいた人々でもあります」
「ティダが穴にいた人たち…」
ああ、それで、という思いもする。

古代琉球では、ティダ(太陽)は西に沈み、
地中の「ティダが穴」を通り、朝また東から
上がってくると、信じられていた。

「ティダが穴にいる人たちは火を操り、かつ
太陽を崇め守る一族でもあったということで?」
「はい、太平洋の東から来た輝きのある者たち。
穴師とは、真の天津神でもあると思います」
「穴師はやはり南方から来た…沖縄から?」
「はい、そうだと思います」

神武の来た道 ⑬ 玉置神社末社・白山社_a0300530_14485903.jpeg
↑「ティダが穴」から昇る朝日。
(玉置神社発行の絵葉書集から拝借した)






















by utoutou | 2016-01-29 18:09 | 神社 | Trackback | Comments(4)
Commented by 武部正俊 at 2016-01-30 15:58 x
白山社と書かれた岩は、人面岩のように見えます。
神武天皇も金属、特に鉄を狙って熊野に行ったのでしょうか。出雲の国譲りも、鉄を狙っていたように思っています。
まだ熊野の磐座巡りはしていないので、ぜひ今年は行ってみたいと思っています。
Commented by utoutou at 2016-01-31 12:05
> 武部正俊さん
こんにちは。確かに人面岩に見えますね。乳岩とも呼ばれるようです。
熊野の磐座巡り、是非。レポート楽しみにしています。熊野から伊勢へと跨ぐかつての牟婁郡は猿田彦の治めた土地なのだろうと思っています。古代出雲族ですね。
ところで、武部さんの最近のブログの「狩場明神」 http://blog.livedoor.jp/omtakebe/?p=2 を拝見しましたが、ちょうど最近参考にしていた真弓常忠・著「古代の鉄と神々」に、狩場明神=高野明神=犬飼(犬飼明神)とありました(今昔物語を引用)。鉄の在処を求めて山野を歩く部民を束ねたのが(犬を連れている)犬飼で、地名にもなったと。すると、犬飼は空海の金剛峯寺創建の功労者。神武にとっての八咫烏のような存在だったのかなと思います。

Commented by 武部正俊 at 2016-01-31 21:17 x
僕も、真弓常忠・著「古代の鉄と神々」は読みました。鉄は一つのキーワードだと思っています。
津名道代・著「日本国つ神情念史 Ⅰ 清姫は語る」では安珍・清姫の物語は鉄を巡る悲恋の物語としています。舞台は熊野です。
昨年、鳥取、島根、広島、岡山方面の磐座探索をしましたが、僕が感じるところはやはり鉄です。天照大神が出雲の国譲りを迫ったのは、鉄を狙ってのことではないかと思います。
僕はまだ沖縄に行ったことがないのですが、沖縄のノロの方を、六甲山の磐座に案内したことがあります。その方は、沖縄と六甲山とは強い繋がりがあるように言っていました。僕には、まだ理解できないのですが、何故の繋がりか興味津々です。六甲山も鉄だと思います。芦屋という地名がそれを物語っているように思います。
そして、猿田彦と稲荷が繋がってきました。稲荷と空海も深い繋がりがあるように思います。
もう一つ面白いのは、狩場明神が黒白の二匹の犬を連れているということです。冬の星座、オリオン座の近くには、大犬座と小犬座があります。そしてそれぞれの主星で、冬の大三角形を作っています。このシンクロに何か意味があるのか、これも興味の対象になっています。僕にとっては謎ばかりです。
Commented by utoutou at 2016-02-04 12:51
> 武部正俊さん
80年代に出雲の荒神谷遺跡から発掘されて以降、「銅剣・銅鐸・銅矛と産鉄地」「倭鍛冶と韓鍛冶」について、真弓氏もあの本の初版に随分と加筆したそうですね。古代、鉄剣が王権の象徴だったように、鉱物資源は王権を確立する物理的な要だったのかなと思います。
真弓氏の研究の魅力は、祭祀学からアプローチしていることですね。それが産鉄族、というより古代そのものを理解するには大切なのでしょうね。もちろん磐座研究も。
呪術というか自然を読む力も、火と風と土と水を扱う古代の採鉱には重要だっただろうと思います。なので修験者の呪術も産鉄と無縁ではなかったのかなと。私も、星座は鉱脈を探知する自然装置だったかと想像しています。
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