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神武の来た道 ⑭ 天穂日命と穴師

「古代琉球から熊野に渡ったと思う」と、
語り部が言う、火の神・天穂日命を崇めた
穴師について少しメモしておきたいと思う。

「穴師」と聞いたとき、すぐに思い出したのが
穴師坐兵主神社(ひょうずにいますあなしじんじゃ)。

「天穂日命(あめのほひのみこと)」と聞いて
連想されたのは、当然のこと、'14年の秋に
高円宮家の典子さまと結婚した出雲大社の
神職である千家国麿さんのことだった。


私はその前年に出雲大社に詣でたときに境内
で撮った写真↓を取り出して見入ったものだ。
60年に一度の「平成の大遷宮」を前に、
参詣社に大々的な催行の告知をしていた。
その写真に、出雲国造家であり祭主である
千家家の方々が写っていたのだった。
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典子様ご結婚のニュースは、繰り返し
「出雲国造家は天照大御神の第二子とされる
天穂日命を初代とする日本で最古の家系」と、
ご結婚相手の千家さんのことを伝えていた。


その「日本最古の家系」と「穴師」が
どうも結びつかなかったが、語り部は言った。
「穴師と土師氏は同じ一族のことですよね」
ああ、そうかと穴師坐兵主神社を再び思った。


穴師坐兵主神社(奈良県桜井市)に参拝
したのは、数年前のことだったが、
その参道には相撲神社の鳥居があった。
本邦初の相撲の天覧試合をしたと言われる
野見宿禰(のみのすくね)は、産鉄地の穴師一族
の人であり、『日本書記』垂仁天皇条に、
〜埴輪を作った功により土部職(はじのつかさ)
を任じられ、姓を改め土部臣とした〜とある。
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そこで思い出したのは、和歌の「東風吹かば」。

「野見宿禰と言えば、菅原道真ですよね。
太宰府天満宮には野見宿禰の石碑もあって…」
「そうですね」と、語り部。


太宰府天満宮(福岡県太宰府市)は
平安の時代から続く天神信仰の総社。
学問の神様・菅原道真公を祭神としているが、
道真公が土師氏であることはよく知られる史実。
神武の来た道 ⑭ 天穂日命と穴師_a0300530_17414229.jpg



その太宰府天満宮の境内にある野見宿禰の碑。
土師宿禰(はじのすくね)と呼ばれたといい、
『新撰姓氏録』に「天穂日命の後」と見える。
神武の来た道 ⑭ 天穂日命と穴師_a0300530_17494193.jpg

また、天穂日命と菅原道真とその叔母を祀る 
大阪府藤井寺市の道明寺天満宮は、元々
野見宿禰により土師神社として創られたという。



あの日、語り部はもうひとつ閃いて言った。
「埼玉の鷲宮神社にも天穂日命が祀られています
よね。あそこに、土師氏の痕跡があります」

人気アニメ『らき☆すた』の舞台・鷲宮神社
の秋祭りは確かに、土師祭りという。
また、調べると、
この地は土師部(素焼きの土器を作る人々)
の移住地で、鷲宮神社の旧社名も「土師の宮」
だったと、分かった。

天穂日命は土師氏の祖神。その何より
動かしがたい根拠は、『日本書記』にあった。
〜天穂日命、是れ出雲臣、土師連等の祖なり〜

では、この天穂日命を始祖とする穴師の人々が、
古代琉球にいたという痕跡は残っているか?






by utoutou | 2016-02-02 21:52 | 神社 | Trackback | Comments(8)
Commented by at 2016-02-03 19:30 x
utoutoさん、こんにちは!アメノホヒノミコト、実は今一番気になる存在でした(>∀<●)ノというのは、実はうちの母方の祖父が生前お爺ちゃんの家系は菅原道真の子孫と言い続けており誰もまともに信じてなかったのですが|艸`)、亡くなった後系図がでてきて確かにそこに菅原道真の名前があったと母が確認しまして。でも偽物だろうとあまり気にもとめてなかったのですが|艸`)、去年本読んでたら菅原道真の子孫に美作菅氏というのがいると知り、読んでたら思いっきりお爺ちゃんの名字があり、かつうちのお爺ちゃんの先祖は美作あたりの出身で(´ロ`ノ)ノ、もしかしてお爺ちゃんの言ってたこと本当かもとΣ(・艸・*)と思い始めております。菅原道真は野見宿禰の子孫なのはわかってたので、出雲系の血が私にも入ってるかもと思ってたんですが、最近読んだ本で野見宿禰はアメノホヒノミコトの子孫と気づき、天孫族じゃん!と自分に突っ込みを入れなおしております(笑)今まで以上にアメノホヒノミコトが出てきた追跡アマミキヨが気になる今日この頃です!(*ノ∀<)鷲宮神社、今度行ってみようと思います!ε=(ノ・∀・)ノ
Commented by utoutou at 2016-02-05 11:30
> 寅さん
こんにちは。そうでしたか、道真公の家系とは名家ですね。
そして、つまり天穂日命はアマミキヨだったわけですね。猿田彦と呼ばれる神もその直系だと思います。そう言えば、天孫氏という言葉を沖縄の御嶽廻りをする人たちから聞いて、当初不思議だったのですが、天孫の末裔なら当然だと、いま合点がいく思いです。
美作は岡山県でしょうか。あの地方も採鉱地で信仰深いと聞いたことがあります。
ところで、菅原道真を祀る天神さんは、つまりは天穂日命系の祭祀をしているわけで、そうカテゴライズすると、全国でものすごい数になるんではないでしょうか。関東の武蔵国造も土師氏の末裔らしいですから、足取りを辿ると面白そうですね。
Commented by at 2016-02-05 18:29 x
utouutoさん、ご返信ありがとうございます!!仰る通り、菅原道真公を祀る神社、また名門神社にある摂社は数え切れないですよね!今までは不思議に思いながらも、菅原道真公の祟りがそれだけ恐ろしかったからだろうくらいにしか思わなかったのですが、実は隠されたもっと深い何かがあるのかもしれませんね〜ミステリーですね〜(*ノ∀<)これから色々な本を読んでいく上でアメノホヒノミコト、野見宿禰、菅原道真公の流れに何かあるんじゃないかと気にしながら読みたいと思います!
Commented by utoutou at 2016-02-11 19:27
> 寅さん
すっかり遅くなって申し訳ありません。私などは、野見宿禰なぜ埴輪? 菅原道真公なぜ左遷? というような素朴な疑問をかなり長い間抱いていましたが、アメノホヒに行き当たってからすっきりしました。その流れの追跡も大事なことですね。
Commented by at 2016-02-13 22:31 x
utouutoさん、こんにちは!鷲宮神社行ってきましたー(>∀<●)ノ天穂日命が出雲族を引き連れて来た場所。関東最古の古社じゃないかと言われてる神社。古代ミステリーファンとしてはヨダレがでますね(笑)それにしても天穂日命については謎が深まるばかりです。記紀ではあまりフォーカスされてないのも、その存在が大きい故でしょうか?鷲宮神社で少し不思議なことが…。鹿島神社、神明神社への参道と書かれた奥宮?への道を行くと名前を探したのですが書いてない摂社が。私の見落としなのかもしれませんが、よくわからず、とにかくお参りだけはしようと思い、お賽銭を入れようとしたら、賽銭箱の木に当たってしまい、神棚の奥に飛んでしまい、奥の溝にハマってしまい、まずいと思って硬貨を必死に書き出して、ようやく神棚の右脇に落とすことが出来て拾ったのですが、すると摂社の真裏に小さな石に神様の名前が刻まれた石が複数ありました。久高島のアカララキの祠の後ろに石が置かれてるのと同じように。石に刻まれた名前が薄くなっていてよくわからないものも多かったのですが、お賽銭トラブルに合わなかったら気づかなかったと思いまし。そして、小さな石から目をあげると澄んだ林の景色が。沖縄でよく回った御嶽の林と何ら変わらない光景にここは御嶽だと思いました。きっと鷲宮神社の拝殿の裏の森が昔は聖域であり、御嶽だったんだと思いましたε=ε=(ノ≧∇≦)ノそして、ちょっと行ったところにある郷土資料館に行ってビックリΣ(・ω・ノ)ノ鷲宮神社がある場所のすぐ目の前は、古代東京湾の奥の奥で海だったと( ´艸`)関東平野のちょうどど真ん中にある鷲宮神社は遥か古代に海の側に立ってたなんて、今の常識だと思いつきませんね。そこに海があったなら海の民である出雲の人達が来てもおかしくないなと思ったりもした土曜日でしたー(*ノ∀<)
Commented by utoutou at 2016-02-14 10:59
> 寅さん
こんにちは。鷲宮神社に行っていらしたとか。先を越されました。笑 お疲れさまです。お賽銭のお話にはちょっと笑いましたけど。何でしょう、そういうハプニングって、周りに誰もいない一人参詣のときに起こりがちですよね。
それはそうと、土師の一族は海を移動したのですね。海から豊葦原の瑞穂の国(湿地帯)をさかのぼったということなのでしょうね。
製鉄、石積み、埴輪、古墳、土師器…稲作も? 土師の遺したらしいものは間違いなく古代大和文化の基礎になっていますよね。実は昨日だったか、そろそろ熊野シリーズも終わりかなと思ったとき、神武天皇が即位したという橿原神宮のそばに「埴輪の里」があったのを思い出し、踏みとどまることにしました。笑 右大臣の菅原道真が左遷された理由も皇位にからむことだったかと思います。また天穂日命情報があれば教えてくださいね。

Commented by だんだん家 at 2016-02-23 23:46 x
ご無沙汰しております。こちらに導いて頂いたお客様と久しぶりにお目にかかり、久しぶりにお邪魔しました。
野見宿禰と菅原道真。 出雲にも由縁があることをご存知でしょうか?
出雲大社と松江の中間、宍道-来待に菅原天満宮が祀られており、菅原道真 生誕の地と伝わっています。
野見宿祢のご神陵があり、子孫にあたる道真公の父君がお参りに来られた際に接待役の国司の娘との間に生まれた男子が道真公と伝えられています。
http://www.mable.ne.jp/~s-tenma/goannai.html
また、立行司 木村庄之助の出は佐陀宮内と伝わり、今でも木村家には代々お祀りしているお社があります
出雲には天穂日命、野見宿祢、道真のつながりがあるんです。ご参考まで。。。
Commented by utoutou at 2016-02-26 08:10
> だんだん家さん
ご無沙汰しております! 出雲大社に野見宿禰神社と土俵があったのをよく覚えています。そう言えば、あの相撲の話は野見宿禰と田道間守との戦いを書き換えたものだと、出雲向家の口伝を記した本で読んだことがあります。野見宿禰は戦いには勝ったけれども、不慮の死を遂げたので古墳を造って埋葬した。後世、その円墳に菅原是善が参詣したときに見初めたのが道真の母だったと。
木村正之助さんが佐多神社の宮内の出身だとは知りませんでした。野見宿禰と関係のある家柄なのでしょうか。今年こそはまた出雲へと思います。菅原天満宮にも参りたいです。お客様へもよろしくお伝えくださいね。 
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