神武の来た道 ⑮ お燈まつりと八咫烏

「山は火の瀧、登り龍」と歌われる
神倉神社の「お燈まつり」が、昨日2月6日
に無事行われたと、新聞で報道されていた。

夜8時、神倉山の頂上から男衆が
(今年は2400人が集まったとか)
各々松明を掲げ、火の粉を散らして麓まで
急な石段を火龍となって駆け下りたという。

男たちが家々に持ち帰った神火は、
旧正月(8日)の煮炊きに使われるそうだ。

「火祭り」の画像は今朝の 読売新聞より拝借。
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「火の神」こと神倉神社から戴いた神火で、
1年の災厄を浄化する熊野の伝統祭祀は、
沖縄久高島の古祭イザイホーの直前に、
新しい火(霊)を神女の香炉に移し替える
魂替え(たまがえー)を彷彿とさせる。


その久高島に、
天穂日命(あめのほひのみこと)の末裔と
語り部の言う穴師のいた形跡が残っている。
「アナゴノシー・アナゴノファーという
久高島の始祖がいますが、この夫婦神は、
漢字で表すと、穴子の子・穴子の婆。
“てぃだが穴”住んだ穴師と考えて
差し支えないと思います」



アナゴノシー・アナゴノファーの住処
と伝わる、久高島りアグル御嶽(らき)。
人ひとり、ようやく身を滑り込ませられる
自然洞窟(ガマ)の中は、子宮のように
温かい四畳半ほどの神々しい空間。
地球の息遣いが聞こえてきそうな…。
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穴師がいたと言っても、古代の琉球列島から
砂鉄など鉱物資源が採れたという伝えはない。

ただし、沖縄の海で干潮のときにできる
「ヒシ」に、鉄という意味もあると
知ってから、視野が広くなった思いがする。

〜ヒシ・ヘシは、『和名妙』によると、
鉄鏃を意味し、竿の先に装着した鉄片。
台湾出身の郭安三氏によると、ヒシ・ヘシ
の語は、南方系海洋族の鉄・鉄斧を意味
する語であるという。台湾・琉球にまで広く
分布し、マライ語のbesiは鉄を意味する〜
(真弓真忠・著『古代の鉄と神々』)


久高島・東海岸にできたヒシ。
干瀬と書く。ヒシと呼ばれた古代鉄文化は、
黒潮に乗って熊野まで北上したのか…。
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ところで、琉球に穴師がいたということは、
熊野と人的交流があったのではないか…。
聞けば、語り部は、熊野三党にその
可能性が大いにあると見ている。

熊野三党とは、古代熊野で勢力を誇った豪族
で、宇井氏・榎本氏・鈴木氏を指し、代々
熊野速玉大社の神職を世襲したという。

語り部は言う。
「沖縄南部の玉城百名に、戦前まで
上門(いーじょー)という旧家がありました。
正しい発音は“うぃじょー”。
宇井も“うぃ”とか、“うじょー”と読めますね。
また上門には、宇迦之御魂神を授かっていた
という話も伝わっています。宇井氏とは、
以前お話した“7つの首の蛇”を率いた首長
なのだと思います。
姓は大城といいますが、和邇と同族かと」

また上門家は、英祖王の生母の実家との
言い伝えが、地元・玉城には残っている。
(過去記事はこちら


さて、『熊野権現縁起』には、宇井氏を含む
熊野三党について次の逸話が残っている。
〜孝昭天皇のとき、熊野神に対して、
長男は十二本の榎を奉り榎本の姓を、
次男は丸い子餅を捧げ丸子(宇井)姓を、
三男は稲穂を奉り穂積(鈴木)姓を賜った〜

古代、和邇は丸子(わに)とも書いた。
各地にある丸子とか新丸子という地名は、
和邇氏の居住地だったと言われる。

その和邇氏を、私は沖縄南部玉城にあった
「和名(わな)」に居た人々と同族と考えている。
その和名あたりにアマミキヨの弟・カニマン
が作ったという、古代製鉄遺跡があった。


いっぽう、神倉神社の祭神・高倉下命を
祖神とする熊野三党は、神武を熊野の
山中で先導した八咫烏でもあるらしい。


熊野本宮大社に、次ような説明板があった。
〜八咫烏(由来)〜
熊野では八咫烏は神の使者と言われています。
三本足とは、熊野三党(宇井・鈴木・榎本)
を表すとも言われ(後略)〜
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古代の海運を担った最古の氏族・和邇氏は、
穴師とも親族の関係だと、語り部は言う。







by utoutou | 2016-02-07 19:11 | 神社 | Trackback | Comments(0)
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