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神武の来た道 ⑯ 補陀落山寺

補陀落山寺
(ふだらくさんじ、東牟婁郡那智勝浦町
熊野三山を廻った旅の終わりに寄ってみた。
新宮から海岸線を西へ、車で約20分。
途中、「神武上陸地」なる大看板を見た。

こちらのお寺も、ユネスコの世界遺産に登録
された「紀伊山地の霊場と参詣道」の一部だ。


熊野三所権現を祀る熊野大神社に隣接。
明治時代の神仏分離により、那智山の仏像仏具
が、この補陀落山寺に移管されたそうだ。
ご本尊は十一面観音。天台宗。
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という来歴より、沖縄では
金武観音寺(きんかんのんじ)を開いた
真言宗の日本人僧侶・日秀上人
(にっしゅうしょうにん、1495〜1575年)
が船出したお寺として、むしろ有名か。

寺号にもなっている
補陀落渡海(ふだらくとかい)とは、
南海の極楽浄土へと船出する捨身修行。
平安〜江戸時代にかけて、
22人余りの僧侶が旅立ったと言われる。


境内にそのレプリカが展示されている。
四方に立つ鳥居に、信仰の極地というより、
生きながらの水葬?を思わずにいられない。
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右手へ廻ると、船内の闇の色に足がすくんだ。
1ヶ月分の食料と飲物と共に乗り込んだという。
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日秀上人は、しかし、沖縄に漂着した。
その先は、本島中部・金武のフナヤ(富花港)。
琉球王朝(尚清王)時代は薪の搬出港だった。
上人は、山で働く若者に助けられたという。


そして↓金武観音寺(きんかんのんじ、
沖縄県国頭郡金武町金武)を建て、自ら
 彫った阿弥陀・薬師・正観音像を安置した。
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『琉球由来記』「金峰山補陀落院観音寺」の
くだりに日秀の言葉が引用されている。
〜誠に補陀落山たることを知れり〜

漂着当時の日秀上人は30代で、
その活躍は、金武村だけにとどまらず、
那覇にあった波上権現護国寺を再建したり、
那覇の若狭町に夷堂を建てたり、
浦添に経塚を建てたりした(地名の由来)。

日秀は十数年間、琉球に滞在したらしいが、
琉球を離れて薩摩に渡ってからは、
正八幡宮(鹿児島神宮)の復興にも関わった。

琉球において熊野信仰や真言宗の普及に
貢献したばかりか、熊野〜琉球〜薩摩を結んだ
 その名声は没後何百年も廃れることがなかった。

ところで、
金武村には、もうひとつの日秀伝がある。
村の美少女をさらう青年が、実は観音寺の洞窟
に住む大蛇だったが、日秀が呪文で封じ込めた
という『大蛇退治』という民話だ。


訪れたとき、「この洞窟か?」と潜入した。
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すると、まさに龍を思わせる白い噴煙が、
洞底から猛スピードで這い上ってきた。
肉眼では見えないが、レンズを通すとこの通り。
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画像を見てもらうと、語り部は言った。
「これは、龍神ですね」
なんでも、この洞窟を辿ると上流の大川に
繫がるそうで、そこには金龍が棲むという
伝説もあるそうだが、だとしても、
その「龍」が現代に現われるとは不思議だ。

「金峰山、金武村、金龍。
まさかここが金鉱という暗示じゃないでしょうね」
訊ねると、語り部は笑った。
「いや、そのまさか、かもしれませんよ」

あれから数ヶ月、真相は謎のままだが、
熊野に行って以来、
あの龍がうごめく光景を何度も思い出した。
「修験僧は呪術で鉱脈を探り当てた」
という、熊野の言い伝えとともに…。

☆☆☆

さて、熊野編に入ってから、
和歌山県在住の方々からの貴重なコメントに
大きなヒントをいただき、感謝しています。
mikumanoさんからは、
スライドショーも頂戴しました。
美しい熊野の風景写真はこちらで見られます。











 





by utoutou | 2016-02-12 20:48 | 神社 | Trackback | Comments(5)
Commented by mikumano at 2016-02-15 02:10 x
utoutouさん、こんな特等席にボクの拙いスライドショーをご紹介下さり、とても恐縮しています。
ボクからのお願いも聞いて下さい。
リンク先左上のスライドショー 熊野 -- Kumano --(coming soon)を今制作中なのですが、
utoutouさんが今回来熊された時に撮られて熊野のお写真一枚お出し頂けないでしょうか?

このスライドショーは、熊野を中心に写真・お店・人・モノなどを繋ぐページにしようと考えています。
今FB内の友達にご案内して写真を募集しているところです。
今回、ご縁を頂いた utoutouさんにも是非ご参加をお願いしたいです。

ご了解頂けましたら、お写真を一枚・タイトル・お名前(ニックネーム可)
参加者一覧からのリンク先のご指定をお願いします。(当ブログでもいいですし、別のHP等のアドレスでも大丈夫でございます。)
ご連絡先メールアドレス:mikumanoslideshow@gmail.com

まあいいか・・・ダミーでネット上に置いているリンク先です。(まだ制作途中なのですが・・・)
こんな感じなのです。熊野のみなさんにもutoutouさんやブログの事を広く知って頂きたいです。
是非ご検討をお願い申し上げます。
http://www.mikumano-photo.com/mikumano_gallery/kumano_gallery_1.html
Commented by yuu at 2016-02-17 12:17 x
こんにちは。去年から何故か突然、古代の神様について興味がわき、少しずつ調べる様になりました。
色々な方が色々な説を書かれていて、初心者の私には??となる事が多いのですが、utoutouさんのブログはとってもわかりやすく、面白くて勉強になります!
最初は伊雑宮を調べていてこちらにたどり着きましたが、今は順番に過去記事を読ませて頂いているところです。やはり?!縄文の女神様が登場すると、どうにもときめきます(笑)が、
自分の中の深いところで他にももっと何かを知りたい様な、探している様な気がしています。これからも読ませて頂きます。よろしくお願い致します ☆.。.
Commented by utoutou at 2016-02-19 08:58
> mikumanoさん
お声がけありがとうございます。私が撮ったような写真でもよろしければ、近々何か1枚送らせていただきますね。下市口から熊野本宮までバスに乗ったとき、通過した丹生川上神社下社近くのお地蔵さんを撮れなかったことが悔やまれます。
Commented by utoutou at 2016-02-19 09:13
> yuuさん
コメントをありがとうございます。私自身も、沖縄の久高島と玉城という場所で、自分のなかの古い記憶が甦るような感覚に陥ったのが最初でした。そういう意味では、誤解を恐れずに言いますと、歴史を自分史として捉えているのかもしれないですね。
沖縄の御嶽や各地の神社を旅すると、古代信仰から歴史を紐解こうとしている方々にお会いしますが、そういう出会いから視野が広がるのもまた楽しいですね。
Commented at 2016-02-20 21:19 x
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