沖縄県国頭郡金武(きん)にある金武観音寺。 境内の洞窟に鎮座する金武宮は、 補陀落僧・日秀上人が創建したと言われ、 熊野権現が祀られている。 伊弉冉尊(いざなみのかみ) 速玉男尊(はやたまおのかみ) 事解男尊(ことさかおのかみ) ↓「高野山真言宗 金峯山 観音寺」の山号。 熊野の補陀落山寺は天台宗だったが、 こちらを開いた日秀上人は真言宗の行者だった。 思えばこの観音寺が私の熊野参りの始まり。 まずは県内と、この旅で熊野神社巡りをした。 ![]() 沖縄には「琉球八社」なる神社がある。 金武宮はそのうちの一宮だが、日秀上人の 存在なくして、八社の創建は始まらなかった。 ↓ことに、日秀上人が 波上宮(なみのうえぐう、那覇市若狭)の 再建に貢献したことは、よく知られた歴史。 波上宮は写真右の磐上に、手前は波の上ビーチ。 ![]() 八社のうち、波上宮はじめ 七社は、金武宮と同じ熊野三神と呼ばれる 伊弉冉尊、速玉男尊、事解男尊を祀る。 (八幡菩薩を祀る安里八幡宮を除く) ただし、盛んな熊野信仰を伝える 『琉球国由来記』などは18世紀になって からの史料で、日秀上人の来沖から200年 以上が経過している。真言宗とは、主に 王家守護の気運のなか高まった信仰らしい。 王朝時代、熊野三所権現と呼ばれたのは、 識名宮(熊野本宮に見立てられた)、 末吉宮(熊野新宮に見立てられた)、 普天間宮(那智山飛龍権現に見立てられた)。 境内で見た各社の御由緒書きには、 文字通り、熊野神と王家との関係が伺える。 〜尚元王(琉球第二王朝第五代王、 1528〜1572年)が長子の病気回復に霊験 を得て建立した〜国王やノロから一般の方々が 各地より参集し、礼拝を捧げ〜尚堅王より毎年 一・五・九月の吉日に国王の行幸が始まった〜 ![]() 【末吉宮(那覇市首里末吉町)】御由緒 〜末吉宮は王朝官社時代の琉球八社 の一社で、俗に「社壇」「首里社壇」など と称され、史料では尚泰久の時代 (一四五六年頃)天界寺鶴翁和尚が熊野 三所権現を勧請して祀ったという。〜 ![]() 【普天間宮(宜野湾市普天間)】御由緒 〜往昔、普天間の洞窟に琉球古神道を祀った ことに始まり、尚金福王から尚泰久王の頃 (一四五〇〜六〇年)熊野権現を合祀した と伝えられている〜当宮の縁起には、 首里桃原に女神が出現され、後に普天間 の洞窟に籠られた。さらにその後、土絵窟 より仙人が現れ「我は熊野権現なり」と、 御神威弥高に示された〜 ![]() 時の琉球王が勧請していた熊野権現。 実は、琉球の熊野信仰は日秀上人より もっと以前に始まっていたという説がある。 普天間宮を勧請した琉球第一王朝 ・尚泰久王の時代より遡ること200年。 英祖王統初代の王・英祖のとき来訪した 禅鑑という僧がいた。僧は名乗らず、ただ 補陀落僧と言ったと『琉球国由来記』は記す…。
by utoutou
| 2016-02-17 21:20
| 神社
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