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神武の来た道 ⑲ 熊野樟日神(くまのくすびのかみ)

結局、熊野シリーズは終われなかった。
「これで熊野編は終了」と、私は3回言い、
その都度「そうですか」と、語り部は言い、
「名残り惜しいですけど」と、私も言った。
「追跡アマミキヨ」としては読み説き足りない
が、一度の熊野旅では万策尽きた感がある。

そこで、
先週末には兵庫・六甲山の磐座に登り、
天穂日命(あめのほひのみこと)の足跡を
追ったので、そのことを書こうとしていた。
が、今朝、閃くものがあって覚醒した。

鍵は熊野樟日神(くまのくすびのかみ)だ!

1週間ほど前、語り部が電話で言った。
「熊野クスビという神様がいますか?
アマテラスとスサノオが誓約したときに化成
した五男のおひとりだと、日本書記にある…」
このとき、
私には質問の意味が分からなかったが、
確かに『日本書紀』に熊野クスビの名はある。

アマテラスとスサノオが誓約したときに、
スサノオの物実(ものざね)に依って生まれた
第一子は、天忍穂耳命。
第二子は、天穂日命。
第三子は、天津彦根命。
第四子は、活津彦根命。
そして、第五子は、熊野豫樟日命


その熊野樟日神が 熊野速玉大社に祀られ
ているのを、今朝、思い出したのだった。
神武の来た道 ⑲  熊野樟日神(くまのくすびのかみ)_a0300530_14142238.jpg



熊野速玉大社の神門を入って右側に、
摂社・新宮がある。説明板には、
〜明治四十年九月二十日 新宮町内に祀られていた
左記の当た大社末社を境内の金刀比羅神社に
合祀して新宮神社となった〜と、ある。
 神様一覧に、熊野樟日神の名が見える。
旧鎮座地は矢倉町、神社名は高倉神社と。
神武の来た道 ⑲  熊野樟日神(くまのくすびのかみ)_a0300530_13310151.jpg



高倉神社は矢倉神社とも呼ばれていたらしい。
そして、その祭神こそは熊野樟日神だった。

『紀伊国牟呂郡名所図会』には、こうある。
〜矢倉明神社、新宮村にあり、宇井氏の祖神ト云〜
宇井氏とは、
語り部が沖縄玉城に同族がいたと見る氏族。
その祖神が熊野樟日神だったとは。

下村巳六著『熊野の伝承と謎』は記す。
(要点まとめ)
・矢倉明神は馬町にあり、隣は宇井野地という。
・ヤグラはイワクラの訛ったものか。
・矢倉明神の祭神は熊野樟日神。
・旧い神だろう。熊野大神か。


速玉神社に参ったあの日、
新宮神社に祀られた神名一覧を見ながら、
伊勢神宮内宮の別宮・伊雑宮に近い磯部神社
を思い出していた。あちらも同様の経緯で、
明治期に町内の神々を合祀したという。


磯部神社の灯籠は六芒星だったが、
↓新宮神社は、太陽と月と宝珠の灯籠が一対。
神武の来た道 ⑲  熊野樟日神(くまのくすびのかみ)_a0300530_13310975.jpg


新宮神社の右隣りは、恵比寿神社。
神武の来た道 ⑲  熊野樟日神(くまのくすびのかみ)_a0300530_14144428.jpg


早速、語り部に伝え、意見を求めた。
「天穂日命は、沖縄から熊野に渡来した。
沖縄にいた宇井氏の祖神は熊野熊野樟日命。
では、他の三男神も沖縄から渡来したと?」
「はい、五男のすべてはスサノオの子である
五十猛命(いそたける)の投影だと思います。
「イソタケル…」
「最初に熊野に渡来して紀の国を、そして
琉球を含む島々を治めていた大王でしょう」


思えば、磯部神社にも
スサノオの五男神が祀られていた。
天忍穂耳尊、
天穂日命、天津彦根命、活津彦根命、
そして、熊野樟日命。

古代、熊野から伊勢志摩の一帯は、琉球から
渡来した五十猛命の新たな本拠地だったのか…。





by utoutou | 2016-02-25 23:20 | 神社 | Trackback | Comments(4)
Commented by at 2016-02-28 22:49 x
utoutoさん、こんにちは(。≧ω≦)ノ
いやー熊野クスビの神様ーーーんΣ(・ω・ノ)ノ
私もそのお名前は熊野速玉大社に行った時に気づきましたが、地元の神様でしょぐらいにしか思ってなかったのですが、アマテラス大神とスサノオの命の誓約で産まれた神様の1人なのですねーーi|lil|Σ(´д`ノ)il|il|これはエライコッチャエライコッチャですねー。一大事ですねー。もーどーなってしまうんでしょー追跡アマミキヨーー( ´艸`)続きが楽しみです(>∀<●)
Commented by utoutou at 2016-03-01 12:27
> 寅さん
こんにちは。「えらいこっちゃ」続きでございます。笑
天穂日命も相当に大きな神様と思っていましたが、スサノオ、イソタケルとなると、この国の根源的な神様ですよね。そして、改めて『契丹古伝』を開かなくてはです。スサノオのモデルらしきスサナアキヒという日神が世界王朝を統べていたというようなくだりがあるのです。
ところで、先日、菅原道真陵が出雲にあると、このコメント欄で話題になり、道真公のお母様は古代出雲の王家筋の女性だったと思い出しました。
Commented by mikumano at 2016-03-01 21:36 x
utoutoさん、先日は“みんなの熊野”スライドショーにご参加下さり、ありがとうございました。
時を近くして、古代出雲ブログの管理人さんも熊野を訪れていたようですね(微笑)

FB内の写真なので見れないかも知れませんが・・・
https://www.facebook.com/photo.php?fbid=931473946937893&set=a.883789775039644.1073741867.100002258897824&type=3&theater

三重県度会郡玉城町の幸神社の社殿前にも12柱の神々の名が。
猿田彦神・天忍穂耳命・活津彦根命・天津彦根命・天穂日命・熊野櫲樟日命・湍津姫命・田心姫命・市杵嶋姫命・加具土神・焼速男神・須佐男命。

Commented by utoutou at 2016-03-04 07:37
> mikumanoさん
スライドショー拝見しました。こちらこそ、お仲間に入れていただきありがとうございました。スマホ写真なので気が引けましたが、企画は素晴らしいですね。
「古代出雲ブログ」さんも拝見。動いておられますね。火まつりで男たちが巻く荒縄のところが興味深かったです。これも男の火と女の火だと、沖縄の言い伝えと比べつつ読みました。
玉城町の幸神社。沖縄の始祖神アマミキヨが渡来した地も玉城(読みは、たまぐすく)なので、町名には注目していましたが、12の祭神名は意味深ですね。この情報も有り難かったです。
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