神武の来た道 ⑳ 熊野櫲樟日命(くまのくすびのみこと)
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天照大御神と素戔男尊の誓約で生まれた神の一柱・熊野櫲樟日命(くまのくすびのみこと)。 熊野速玉大社の新宮には「熊野樟日神」とあるが、『日本書記』の訳では「熊野櫲樟日命」と表記が異なる。語尾の「神」と「命」は同義として分かるが、「櫲」と「樟」がわざわざ重複するのは何故か? 辞典で調べたところ、「櫲樟(よしょう)とは常緑高木の名、楠」「関東以南、台湾、中国の揚子江以南に分布」とある。 また大和神話で、イザナミ・イザナギが生んだ蛭子(ひるこ)が3年経っても歩かないので流されるくだりに出てくる「天鳥磐櫲樟船」(この場合の読みは、あめのとりいわくすぶね)とは、「鳥のように早く走り、磐のように堅い楠で作った船」の意味だという。 そう言えば、時代はぐっと下るが、琉球王朝の『おもろそうし』十三巻に 「くすぬき」(方言で楠のこと)という歌があり、〜楠の御船、行く末を祝福された御船、国王様の御船であることよ〜と謳われている。沖縄でも、楠は造船材として利用された。
楠(樟)はまた、神木である。那智大社の拝殿横には、樹齢800年という平重盛の手植えによる大楠がそびえている。高さ27m、幹の周囲8.3m、枝張り25m。 青岸渡寺側の神門から空を覆う枝振りが見えた。
クスノキには朝日、いや太陽がよく似合う、と思う。  さて、熊野櫲樟日命の神名に含まれる「櫲」と「樟」は、同じクスノキ科の木。いずれも樟脳の材料になるほどの芳香、消毒、防虫が特徴という。頑丈さ、堅さと、朽ちにくい性質が、古来、造船材として使われた最大の理由だったようだ。
ただし、決定的な違いがある。楠(樟)は高さ10m以上ある常緑高木だが、いっぽうの櫲(よ)は、落葉低木なのである。
『学研漢和辞典』の櫲の項が、参考になった。〜木の名。クスノキ科の落葉低木。芳香がある。クロモジ。予樟。〜(後略) 櫲とは、爪楊枝にもなった黒文字という木。 「天鳥磐櫲樟船」が、櫲(よ)と樟(くす)の二文字をあえて連ねているのは、それが黒い楠の船だったことを言わんとしたためか。 そこで改めて熊野櫲樟日命の意味を考えると、熊野+磐+黒い楠+太陽+船。「堅く黒い楠で作った神船に乗る太陽神」となる。(熊野を「神の」という解釈で読んだ) かつて語り部に聞いた話が思い出された。「粟国島で神女をしている方と、電話で話していたときのことです。六月祭りの確か1週間ほど前でしたけど、月のない夜に走る黒い船を霊視したんです。それを言うと、おばさんは“なんで分かるの”と、“こっちの島では、神様は黒い神船(かみぶに)に乗ってケラマから来て、島の北のヤガン御嶽の船くんじ(繋ぎ)石に船を着けると言われてるよ”と、教えてくれたんです。神様の乗った船とは、蛭子の神話とよく似た話だなと、思いました」 では、熊野櫲樟日命を思わせる蛭子とは、どんな神か? 語り部は言った。「出雲神族の海神・クナト大神ではないか。五十猛と同じ神様なのかもしれませんよ」
那智大社の大楠は「楠霊社」とも呼ばれる。裏の人が入れるほどの空洞があり、「胎内くぐり」で無病息災が祈願できる。いまとなっては、重大なお社に感じられる。
by utoutou
| 2016-02-29 17:44
| 神社
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琉球の始祖と伝わるアマミキヨとは誰か。その痕跡を追う旅ログ。南城市玉城で出会った語り部と共に謎解きする、古代琉球の神々の事々。写真・文章を転載の場合はご一報お願いしますm(._.)m
by utoutou
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