神武の来た道 ㉑ 古代紀の国の楠信仰

熊野には古くから楠信仰があり、
楠の字を入れて命名された人が多いという。
和歌山出身の博物学者・南方熊楠もその一人。

藤白神社(海南市)饒速日命を祭神とするが、
併せて熊野櫲樟日命も祀っている。
熊野の神(=熊野櫲樟日命)が楠に籠る(子守る)
と伝わる摂社は、その名も「子守楠神社」。
熊楠は両親が楠神に願かけして生まれたという。

そんな謂れからか、熊楠は神木の楠を大切にした。
明治時代、神社合祀反対運動の先頭に立った熊楠は、
当時、内務官僚だった柳田国男に働きかけ、
引作(ひきづくり)神社(三重)の楠の伐採を阻止した。



那智大社の大楠(樟霊社)も熊野櫲樟日命が籠る?
a0300530_15544325.jpg



↓大楠がそびえる藤白神社の摂社・巳神社。
(こちらの写真は、藤白神社HPから拝借)
a0300530_17215599.jpg


楠の神、熊野神であった熊野櫲樟日命
は、子孫繁栄の神であると同時に、
海の人々が崇めた船玉の神でもあった。

『名草戸畔 古代紀国の女王伝説』(スタジオ
・エム・オー・ジー刊)の著者・なかひらまい氏は、
神武が誅したと伝わる紀伊先住族の女首長
・名草戸畔(なぐさとべ)は、楠をトーテムと
して信仰していたのではないかと記している。

理由として、和歌山
市内には、楠を神木とする神社が藤白神社
はじめ十五社もあること。また、
『南海道紀伊国神名帳』の「地祇三十坐」に、
「従四位楠本大明神 従四位名草戸姫大神」
と、列記されていることなどを挙げている。

極めつけは、名草戸畔の末裔という
小野田寛郎氏のコメント(手紙)だ。
〜いつも母から、楠は大樹に成長するので、
大きな船を作るのに適しているため
神聖視されていたと聞いている。〜
(ちなみに小野田氏は、ルバング島から
帰還したあの「小野田さん」である)

スサノオが託宣した造船材・楠への信仰は、
この地で現代まで引き継がれていたのだった。



私が詣でた神社では、伊雑宮が記憶に新しい。
海人性の強い土地柄、倭姫旧跡にも楠があった。
a0300530_15545224.jpg



事代主を祀る長田神社(神戸市)の摂社は、
その名も楠宮稲荷神社。倉稲魂神を祀る。
a0300530_15551277.jpg


そう言えば、
海の神(底筒男命、中筒男命、表筒男、神功皇后)
を祀る住吉大社(大阪市)でも、大楠を見上げた。

熱田神宮(名古屋市)にも空海お手植えの大楠が鎮座。
根元の祠には、鶏卵が供えられていたが、
神の化身の蛇が住み着いているといわれるため。
「龍蛇神は卵好き」といった口伝は沖縄にもある。

船となる神木・楠は、熊野櫲樟日命であり、
各地でも船玉神として崇められた。

なお、名草戸畔が率いた一族は、紀元前、
九州から紀伊半島に渡来してきたという。
〜宮崎から大分の、リアス式海岸のあたり〜
(『名草戸畔〜』)からやって来たという口伝
が、小野田家に残っているそうだが、
船玉信仰はさらに南の島々から起こったと思う。















by utoutou | 2016-03-04 21:07 | 神社 | Trackback | Comments(0)
トラックバックURL : https://mintun.exblog.jp/tb/22555772
トラックバックする(会員専用) [ヘルプ]
※このブログはトラックバック承認制を適用しています。 ブログの持ち主が承認するまでトラックバックは表示されません。
<< 神武の来た道 ㉒ 神武は殺さなかった 神武の来た道 ⑳ 熊野櫲樟日命... >>