熊野には古くから楠信仰があり、楠の字を入れて命名された人が多いという。和歌山出身の博物学者・南方熊楠もその一人。 藤白神社(海南市)は饒速日命を祭神とするが、併せて熊野櫲樟日命も祀っている。熊野の神(=熊野櫲樟日命)が楠に籠る(子守る) と伝わる摂社は、その名も「子守楠神社」。熊楠は両親が楠神に願かけして生まれたという。 そんな謂れからか、熊楠は神木の楠を大切にした。明治時代、神社合祀反対運動の先頭に立った熊楠は、当時、内務官僚だった柳田国男に働きかけ、引作(ひきづくり)神社(三重)の楠の伐採を阻止した。
那智大社の大楠(樟霊社)も熊野櫲樟日命が籠る?

↓大楠がそびえる藤白神社の摂社・巳神社。(こちらの写真は、藤白神社HPから拝借)
楠の神、熊野神であった熊野櫲樟日命は、子孫繁栄の神であると同時に、海の人々が崇めた船玉の神でもあった。 『名草戸畔 古代紀国の女王伝説』(スタジオ・エム・オー・ジー刊)の著者・なかひらまい氏は、神武が誅したと伝わる紀伊先住族の女首長・名草戸畔(なぐさとべ)は、楠をトーテムとして信仰していたのではないかと記している。 理由として、和歌山市内には、楠を神木とする神社が藤白神社はじめ十五社もあること。また、『南海道紀伊国神名帳』の「地祇三十坐」に、「従四位楠本大明神 従四位名草戸姫大神」と、列記されていることなどを挙げている。 極めつけは、名草戸畔の末裔という小野田寛郎氏のコメント(手紙)だ。〜いつも母から、楠は大樹に成長するので、大きな船を作るのに適しているため神聖視されていたと聞いている。〜(ちなみに小野田氏は、ルバング島から帰還したあの「小野田さん」である) スサノオが託宣した造船材・楠への信仰は、この地で現代まで引き継がれていたのだった。
私が詣でた神社では、伊雑宮が記憶に新しい。海人性の強い土地柄、倭姫旧跡にも楠があった。
事代主を祀る長田神社(神戸市)の摂社は、その名も楠宮稲荷神社。倉稲魂神を祀る。
そう言えば、海の神(底筒男命、中筒男命、表筒男、神功皇后)を祀る住吉大社(大阪市)でも、大楠を見上げた。 熱田神宮(名古屋市)にも空海お手植えの大楠が鎮座。根元の祠には、鶏卵が供えられていたが、神の化身の蛇が住み着いているといわれるため。「龍蛇神は卵好き」といった口伝は沖縄にもある。 船となる神木・楠は、熊野櫲樟日命であり、各地でも船玉神として崇められた。 なお、名草戸畔が率いた一族は、紀元前、九州から紀伊半島に渡来してきたという。〜宮崎から大分の、リアス式海岸のあたり〜(『名草戸畔〜』)からやって来たという口伝が、小野田家に残っているそうだが、船玉信仰はさらに南の島々から起こったと思う。
by utoutou
| 2016-03-04 21:07
| 神社
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琉球の始祖と伝わるアマミキヨとは誰か。その痕跡を追う旅ログ。南城市玉城で出会った語り部と共に謎解きする、古代琉球の神々の事々。写真・文章を転載の場合はご一報お願いしますm(._.)m
by utoutou
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