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神武の来た道 ㉓ 神武が出会ったクズの祖

クスという地名は、どこにありますか?」
そう語り部が聞いてきた。
「熊野櫲樟日命」を読んでから気になっていると。

樟(クス)と同音の、クスがつく地名か…。
考えたこともなかったが、思いつきで答える。
「久須志神社が、富士山に九合目にありますね」
「そうです」
「はい?」
「先住民のいた所が、クスと呼ばれたと思います」

久須志神社については、こちらの記事に。
富士山には、大和朝廷が成立するはるか以前から
この列島に先住した人々の大神が祀られていると、
私が富士山本宮浅間大社に参ったとき、
語り部は視た。

クスに似た地名は「神武の来た道」にもある。
「クスだけでなく、国栖(クズ)もそうですかね?」
聞くと、語り部は言った。
「だと思います。吉野川の上流にいましたね」

神武は橿原神宮に入る前、井戸の中から出て来た
井氷鹿(いひか)と名乗る尻尾のある男や、
「吉野の国巣の祖」である石押分之神
(いしおしわけのかみ)という、やはり尻尾の
ある男に出迎えられたと、『古事記』に。

また記紀は、時代下って応神天皇が吉野宮に
行幸した折り、国栖人が醴酒(こさけ)や
 土毛(くにつもの、特産品)を献上し、
歌舞を奏して天皇を慰めたと記している。



国栖奏(くずそう)は、天武天皇を祀る国栖の
浄見原神社ほか 、近年では神武が即位した
↓橿原神宮の神武祭(4月3日)でも奉奏される。
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また、語り部はこんな突飛な質問をした。
「吉野には、お餅も古くからありますか?」
「そうですね、葛餅なら有名ですけど」
話しながら検索すると、吉野葛の老舗「天極堂」
のサイトに「葛の呼び名の由来」が載っていた。

〜国栖人は主に岩穴に住んでおり、非稲作民で〜
国栖人はつる草の根から澱粉をとり、里に出て売る
ことがあったので、いつしかその澱粉を
「クズ」と呼ぶようになり〜

なるほど、国栖と葛は同義だったのだ。

では、そもそもなぜ神武は国栖を通ったのか。
吉野・熊野は修験道にもなる急峻な山渓。
決して小規模ではなかったろう神武一行の兵站基地
を置けるような平地がなかったのは一目瞭然。
ということは、やはり、国栖あるいは
その次に訪れた宇陀で採れる鉱物が狙いだったか。



私は五條駅(奈良県)から熊野へと南下する
バスで、国道168号線を走った。
神武の行った道は、その東の国道169号線沿いか。
↓途中休憩した日本一長い十津川村の
「谷瀬の吊り橋」。長さ約300m、高さ54m。
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山の民・穴師だった国栖の人が採掘していた
のは、水銀(丹)だったはずだ。
神武が名草邑からあえて南下して、荒坂津へと
迂回したのも、そこに丹敷戸畔の率いる採丹族が
いたからだろう。さらに熊野川を北上すれば、
いま丹生神社の点在する水銀産地へと辿り着く。

そんな折り、語り部が言った。
「国栖と言えば、今度は九頭龍が気になります。
その語源は楠、船玉。それは龍蛇に繫がると思います」

九頭龍。
沖縄ではそれを古来、「7つの首の蛇」と呼んだ。
玉城、久高島、津堅島に、その口伝が残っている。
ことに、久高島は龍宮と呼ばれた。
7つの古代海神族が存在したという意味である。

建国の礎となり大和朝廷で重用されながらも、
やがて、蔑まれていく国津神・龍蛇族。
国栖の人を「尻尾のある男」などと
揶揄したのは、神武や天武ではない。
天武・持統の裏で記紀を創作した藤原不比等だろう。


谷瀬の吊り橋の側で会ったお地蔵さん。
地主神か丹生津姫か、一点の紅が鮮やかだった。
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by utoutou | 2016-03-11 20:43 | 神社 | Trackback | Comments(0)
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