神武東征の仕上げは、紀伊半島の「北上」 だったが、それはどんな理由によるものか? 鉄や金に加えて、神武が狙ったらしい熊野・吉野の 主たる鉱物資源が水銀(朱、丹)だったと考える と、紀伊半島を東から西へと横切る中央構造線沿い を、東にまっすぐ進めばよさそうなものを、 くどいようだが、なぜ熊野灘を廻って南から北へ? ![]() ![]() ![]() 天(高天原)という概念の導入と、さらには、 十二支に基づいて「子(北)」を王位の方向と する、新しい王権神話の創設ではなかったか。 その意味で、神武が玉置神社のある十津川村 をはじめ、熊野の険しい山脈を北上する物語は、 豊富な鉱脈を含む紀伊半島そのものを手中にした とする強引な勝利宣言だったのではないだろうか。 そうでなければ、記紀編纂の8世紀になってなお、 おそらく古神道と修験道が息づいていた 「反逆の聖地・熊野」を、「神武東征ルート」 として、たやすく位置づけることはできなかった。 朝7時半、那智山から見る、熊野本宮方面(東)。 縄文から続いた東西軸を崇拝するヨコ志向は、 記紀から、タテ志向の信仰観に変更されたと思う。 ![]() 琉球の信仰にも、ヨコ志向とタテ志向があった。 太陽の昇る東方を崇拝する「ニライカナイ」 と、ひとえに天を崇拝する「オボツカグラ」 という、相対する宗教観・自然観だ。
by utoutou
| 2016-03-14 18:22
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