日下部を考える時間が多くなっていた。その祖・浦島太郎の物語は単なるお伽話ではないのだと思えて仕方なく、また、大伴親王が淳和天皇として即位して間もない825年に、小野篁に命じて丹後に浦島神社を建立した話にも、天照大御神に逆らうような月讀命への信仰を感じる。 そもそも月讀命の末裔という日下部族(隼人)が、やがて日置部として太陽を奉じるのも不自然な話だ。 太陽神と月神の両方を崇めるならともかく、まるで月神(月讀命)への信仰を打ち捨てるように。 もしや古い神は破棄するよう強制されたのか…?ではなぜ、淳和天皇は日下部を擁護したのか?謎は多い。 「海人族は朝廷に重用され、虐げられた」と言った籠神社宮司の話が、今、改めて思い出された。
そんな折り、語り部から質問がきた。「ヒサツヒメというのは、どなたですか?」またヤブカラボウにと思い、逆に質問する。「えっと、どこにいたヒメですか?」「たぶん九州です。宇佐神宮の近くだと思います」という話を聞きつつ、目の前にあったPCで検索する。 が、私の打ち込みより速く、語り部が言い当てた。「ヒサツヒメは、ヨソ神社に祀られていますね?」「あ、あります。大分県に會所(よそ)神社が」「74番地ですか?」 「はい、大分県日田市大字日高74番地。會所神社…当たりですね…祭神は久津媛(比佐津媛)とある。 熊襲征伐の帰りの景行天皇を、ここ日田で出迎えたと」 神託の裏取りは、いつもこんな調子で進むが、 語り部の声がいつになく弾んでいる、気がする。「この方が本当の向津姫(むかつひめ)ですよ」「はい?」「憧賢木厳之御魂天疎向津媛命(つきさかきいつのみたまあまさかるむかつひめ)」 「ああ、天の日に向かう姫…」「本当の瀬織津姫、葛(国栖)神、国津神かと。天の太陽・月・星に向かう霊(ひ)の巫女です」「どうして、それが分かるのですか?」「おそらく、日下部族の日巫女だからです」「ここにも日下部がいた?」「そして、とんでもない鏡を持っていた」
調べると、久津媛が持っていたと推測されるのは、↓ 金銀錯嵌朱龍紋鉄鏡 (きんぎんさくがんしゅりゅうもんてっきょう)。 昭和8(1933年)、日田市日高町で出土した。 九州北部を東西に横断する久大本線の建築工事中、こつ然と現れた鉄の塊は、後に「卑弥呼の鏡?」と見られたが、アカデミックは一貫して無視したという。※復元CGの写真は、ネットピア日田様のHPから拝借した。
復元CGで想像がつくが、すこぶる精巧な細工。前漢時代の鉄鏡だと分析されているが、驚くことに、これは周辺諸国の国王クラスに下賜された鏡らしい。現在は、東京博物館に保存されている。
さて、鏡が出土した場所は、大分県日田市大字三芳字刀連町と推定された。鏡と同時に出土したのは、刀、馬具、勾玉、そして、後に、↓ 金錯鉄帯鉤(きんさくてったいこう)と命名されることになる漢服用の金のバックル。※写真は『大分の古代美術』(大分放送出版)より拝借。
バックルの全面に並んだ、そして鉄鏡の縁に施されていた龍紋のような渦巻紋を見て、私は思った。「隼人の盾」に描かれた渦巻紋とそっくりだ…。 私のような素人目には、そうとしか映らなかった。
by utoutou
| 2016-05-11 14:27
| 瀬織津姫
|
Trackback
|
Comments(0)
|

琉球の始祖と伝わるアマミキヨとは誰か。その痕跡を追う旅ログ。南城市玉城で出会った語り部と共に謎解きする、古代琉球の神々の事々。写真・文章を転載の場合はご一報お願いしますm(._.)m
by utoutou
| S |
M |
T |
W |
T |
F |
S |
|
|
1
|
2
|
3
|
4
|
5
|
6
|
|
7
|
8
|
9
|
10
|
11
|
12
|
13
|
|
14
|
15
|
16
|
17
|
18
|
19
|
20
|
|
21
|
22
|
23
|
24
|
25
|
26
|
27
|
|
28
|
29
|
30
|
カテゴリ
最新の記事
以前の記事
画像一覧
最新のコメント
最新のトラックバック
検索
記事ランキング
ブログパーツ
- このブログに掲載されている写真・画像・イラストを無断で使用することを禁じます。
フォロー中のブログ
ブログジャンル
外部リンク
ファン
|