狭井神社の「さい」とは「斉の国」だ…という語り部の話で思うのは斎場御嶽(せーふぁうたき)。古来、「さいはのうたき」と呼ばれていた。
琉球王朝時代には、代々の聞得大君(最高神官)の就任式を行った聖地、つまり王家の「祭祀場」だが、「葬場」あるいは「墓地」でもあったと思う。 斎場御嶽の奥宮と伝わるナーワンダーグスク(イキガ(男)とイナグ(女)、ふたつの巨石)。 その御嶽名の由来は、ナーワンダー=なでるわ。「祖先の神霊」が滞留するという意味である。 となると、大和の出雲こと三輪山の磐座との共通点を、いやが上にも思わせる。大国主の末裔という古代出雲王家・向家の伝承で、斎場とは、王の遺体を埋葬した山の神籬を指すという。 ※古代の琉球と出雲の関係や、契約古伝については、これまでも書いており、「大陸渡来のワニ氏…」など「甦る古代琉球」のシリーズをご参照ください。 さて、 17802年続いたと琉球王朝の史書(中山世鑑)が記す天孫氏王朝を、海を越えて隆盛した古代出雲(斉の国)と見る語り部は、その王とはスサノオ(契丹古伝ではスサダミコ)で、亦の名を「天地(あめつち)の大神様」「天王ガナシー」と呼ばれたという。ちなみに妃は「天妃ガナシー」、または「照(てらし)ウヤガナシーと呼ばれた。※ガナシー=神様、ウヤ=親。 その一対神は、 久高島を東端として東西軸上の聖所に祀られてきた。久高島・大里家、斎場御嶽、大里・天代大世の拝所。 (以前の記事「スサノオの天孫氏王朝」はこちら)そして、おそらく東西軸の西端にあたる浦添城にも。 ただ東西軸=太陽の道=レイラインを作ったのは誰か、または何族かを、解明した人は未だいない。
話は戻って、大和の出雲こと三輪山。ダンノダイラは三輪山の東(1.7㎞)に位置する。そこで、俄然、気になるのは「大和の東西軸」だ。 NHKのドキュメンタリー『知られざる古代』('80)や、そのディレクター・水谷慶一氏が同名著書で記した「北緯34度32分」、つまりレイラインの存在。 三輪山を中心に、東西軸上には長谷寺や室生寺が、70 ㎞東には伊勢の斎宮後があると、水谷氏は書いた。西には箸墓、大鳥神社(堺市)、淡路島の伊勢の森。
↓三輪山の摂社・桧原神社も当然のこと同じ緯度で、二上山に沈む春分・秋分の落日が見えるという。※美しい写真は『山辺の道ガイドブック』(三輪山分化研究会)より拝借。
こちら自前の写真。狭井神社の鳥居近くの標識。左・桧原神社、右・大神神社の左右が東西軸。いわゆる太陽の道・レイラインである。対して南北(標識の縦板)にあるが山辺の道。
数年前に撮った箸墓古墳。左奥が三輪山。ここを起点に西向きのレイラインは始まる。
では東に行けば…とツラツラ考えていて、こう思う。その東端は、斎宮よりもっと先にあるのでは? と。すぐ東、伊勢神宮の外宮内宮、二見興玉神社も同緯度。太陽の道は東端の千葉県まで繋がっているのでは? そんな折り、語り部から連絡が来た。「美具久留御魂神社は、どこにありますか?」「みぐくる…ですか?」「はい、その神社が視えて仕方ないので…。詳しいことをちょっと調べてもらえますか?」 私も知らなかったので電話で話しながら検索。「ありました…えっと…」なんという偶然、神様はお見通しということか。 美具久留御魂神社(大阪府富田林市)の緯度は、34度31分。「太陽の道」と、わずか1分の違い…。その由緒がまた、とんでもなく「出雲」なのである。
れれれ
by utoutou
| 2016-06-16 22:43
| 瀬織津姫
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琉球の始祖と伝わるアマミキヨとは誰か。その痕跡を追う旅ログ。南城市玉城で出会った語り部と共に謎解きする、古代琉球の神々の事々。写真・文章を転載の場合はご一報お願いしますm(._.)m
by utoutou
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