「海部氏勘注系図」に瀬織津姫の神名がある のを、系図を入念に見ていたときに知った。 つい先日のことだ。勘注系図「前書」の 最後尾(左いちばん下の部分)に、次のように。 天照皇大神宮 天照大神荒魂 瀬織津姫命 その左には「春日社 天児屋根命」、 さらに左には「猿田彦命 一云 大世多大明神」 とあり、また右方に「眞奈井社」ともあるので、 境内摂社の解説部分なのだと分かる。 ↓勘注系図を接写。全体図はこちらにあります。 ![]() 現在も摂社として並ぶ(左から)猿田彦社、 春日社、天照大神和魂社(注釈に荒魂とある)。 ![]() 『元伊勢の秘宝と国宝海部氏系図』より拝借。 瀬織津姫はいま「縄文の女神」と呼ばれるが、 ご存じ縄文時代からその神名だったわけではない。 誕生したのは、天武・持統の時代にまで下る。 中臣氏が大祓詞に瀬織津姫として封印して、 (祟りを鎮めるための)新しい祭祀を始めたときだ。 その内容は、927年に完成した延喜式に見える。 「海部氏勘注系図」に、瀬織津姫の 神名が記されたのがいつだったかは分からない。 金久与市著『古代海部氏の系図』(学生社)に よれば、勘注系図は古代より伝わる「丹波国造本紀」 を、仁和年間(885〜889年)に補正したものを、 さらに江戸時代初期に書き写したのだというが、 いずれにしても、始祖・天照国照彦火明櫛玉饒速日命 にも見える天照大神(男神)の妃神を、 作られた皇祖神・天照大御神(女神)の荒魂と して祀らねばならなかった、ねじれた祭祀状況に、 「元伊勢・籠神社」の無念を思わずにいられない。 さて、もう一点、 勘注系図を見ていて、非常に謎めいていたのが、 「おとよ」と名のつく人物が何度か登場することだ。 まず、十世の孫である 乎縫(おぬい)命の亦名が、小止与(おとよ)命。 妹に大倭姫の名があり、その亦名が倭迹迹姫命。 九世孫である倭迹迹日百襲姫命との近似性が気に かかるが、この点は金久与市氏も指摘している。 次に、同族・尾張氏の部分。海部氏十一所世孫に 乎止与(おとよ)命がいて(過去の記事はこちら)、 その妹が宮簀姫である。この姫は、 ヤマトタケル妃として亡夫から草薙の剣を継承した。 そして、私がもっとも興味を引かれたのが、 後に如意尼となる真井御前(まないごぜん)の父で、 海部直三十一代の名前も、雄豊(おとよ)であること。 重要人物に「おとよ」が、なんだかヤケに多い。 秘仏・如意輪観音像ご開帳の日に訪れた 神呪寺に残る真井(まない)御前の姿。掛軸の 横に「海部直・雄豊の娘」との解説があった。 ![]() 神呪寺(西宮市甲山町)と神奈備山の甲山。 ![]() 「おとよ」という名のつく海部氏のキーパーソン。 その解釈について、語り部に意見を求めると…。 「豊…という字を示す暗号ではないでしょうか」 と言った。意表をつく見立てに驚き、私も聞いた。 「豊とは、真名井神社の豊受大神のことですか?」 「はい、大いに関係があるのではと、思います」 籠神社奥宮・真名井神社の祭神である豊受大神。 その来歴に、いったいどんな秘密があるのか? 六甲山から始まったシリーズ、ようやく戻ってきた と思いきや、なんだか難解な謎解きが待っていた…。
by utoutou
| 2016-07-11 22:34
| 瀬織津姫
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