海部氏の系図に「とよ(豊)」のつく男孫が、 度々登場するが、その名の由来とは何か? ということを考える前に、女神の話を少々…。 撞賢木厳之御魂天疎向津姫命(つきさかき いつのみたまあまさかるむかつひめ)は、 ご存じ、神功皇后が創祀した兵庫第一の古社 である廣田神社の主祭神。 日本書紀的には、天照大御神の荒魂とされるが、 この長い神名について、語り部はこう言っている。 「日巫女が掲げた神の依り代を連ねた神名だ」と。 彦火明命…のあの長い神名のときのように、 今回も分解してみると、意味がよく分かると。 そんなわけで、以下のように分解してみると… 撞賢木・厳之御魂・天疎・向津姫命。 なるほど、絵に描いたように日巫女像が見える。 剣・勾玉・鏡・を掲げて日神に向かう姫だ。 ↓廣田神社の祭神名の由来はその祭祀にある? ![]() 廣田神社の境内には古代祭祀を偲ぶ井戸もある。 ![]() ![]() では、その日巫女(向津姫)はどこにいたのか? 私は「豊の国」にいたのだろうと思った。 豊後、豊前、豊浦など「豊」のつく地名の多い 土地と言えば、北部九州である。海部氏の 先着隊は「豊の国」から丹後に移動した。 そして、その名残りをとどめるように、 首長の名に、「とよ(豊)」の暗号を潜ませた? 祭祀を担う日巫女は、撞賢木厳之御魂天疎向津姫命。 剣・勾玉・鏡という弥生時代の「三種の神器」 が、王墓からの副葬品として揃って出土するのは 全国でも北部九州だけで、畿内には見られないという。 「豊の国」には、あのヒミコの鏡の出土した 日田(大分県)も含まれることは記憶に新しい。 思えば、その一族とは琉球から渡来した日下部 だったとは、何度か書いた(★)ことだった…。
by utoutou
| 2016-07-13 21:28
| 瀬織津姫
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