天御中主神(あめのみなかぬしのかみ)のことは ↑ 先日書いたが、それは海人族にとって 子(に)ぬふぁ星(北極星)と見なされた神。 籠神社・海部氏の所伝によれば、 奥宮・真名井神社の祭神であり宇宙根源の大霊神 ・国常立大神であり、宇迦の御魂(倉稲魂)である。 籠神社の奥宮・真名井神社境内にある天御中主神 の磐座。手前の標石にその神名が刻まれている。 天御中主神はまた、上古の沖縄にいたらしい 「海人七氏族(セーナナー)=七つの首の蛇」の御魂、 つまり「宇迦の御魂」であり、豊受大神というのが、 語り部の伝授を私が咀嚼して至った結論である。 その神は丹後・真名井神社から伊勢へと遷座。 千年以上を経た今も外宮・豊受大神宮に鎮座するが、 神徳は天照御大神の御饌津神(食物・穀物を司る神) としてであって、海部氏の所伝とは大きく異なる。 なぜそんなに大きく異なるのかというと、 天御中主神は存在を消されたからである。 海人七氏族(先住系海人族)の崇める大神は、 その消滅と運命を共にせざるをえなかった。 物部氏が蘇我氏に滅ぼされた契機は、538年。 いわゆる仏教の教典や仏像の伝来にあったと思う。 その導入を担った蘇我氏の台頭に対して、神道を 擁護した物部氏は滅亡(587年)へとひた走る。 やがて起こる藤原氏の宗教改革によって、 7世紀後半までに天御中主神は駆逐された。 記紀では「天香香背男(天津甕星)征伐」と されるが、まさにその星こそ天御中主神だった。 真名井神社にはこれまで3回ほど参拝したが、 こうした海人族の盛衰には思いが及ばなかった。 さて、六甲から丹後へと北上するかのように 描かれた、東経135度の子午線とは? それは、海人族の渡来地を貫き、聖なる 子ぬふぁ空を崇める「天御中主神ライン」。上古の 天皇を守護すべく北斗七星を象徴していたと思う。 改めて、琉球王朝の聞得大君が礼拝したという 「天御中主神と七人の日巫女」の掛軸を思い出す。 中央に弁財天=瀬織津姫が鎮座しており、 7人の日巫女たちは北斗七星の化身に見える。 沖縄では旧盆ウークイ(お送り)の日。 ご先祖さまが天空へと戻ってゆく、いまは夜…。
by utoutou
| 2016-08-17 23:06
| 瀬織津姫
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