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六甲山と瀬織津姫 49 海神の砦

鷲林寺では、多くの龍神に出会う。
境内に足を踏み入れたときは意外に思ったが、
六甲山は渡来海人族の聖地だったのだから当然か。


こちらは八大龍王。平成19年築ということで
 真新しいが、右奥の洞窟に龍王の古い住処がある。
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↓ 龍王の洞窟。役の行者が龍神を拝んだといい、
現在は3m入った地点に八大龍王が祀られているとか。
入口には、白龍大神、伍大国長天龍神・国龍大神
といった銘碑に参拝。白龍も祀られていた。
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鷲林寺は空海(774〜835年)が建立した。
さらに古く、役小角(634〜701年)も来た。
鷲林寺は古来の神々を護った僧たちの聖地でもある。



十一面観音が祀られる本堂から奥へ進むと石仏がズラリ。
左は空海が祀ったという白山大権現、そして、
中央が不動明王。つまり、菊理姫(瀬織津姫)を、
女神を刀剣を抱えた不動明王が護衛している?
ちょうど夕方。西日を背にやんわり立つ不動明王には
「勇猛」より、縄文の土偶にも似た「和」を感じた。
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不動明王の先にも、石仏が続いている。
写真左は栂尾(つがお)明神、中央は宮八大神など。
右は末廣大神・玉姫大神、御劔大神。さらに並ぶ。
石仏群は、地祇系の神仏が絶妙に混合している。
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本堂の右手には、新築という護摩堂と多宝塔がある。
護摩堂の本尊は、空海作と伝わる鷲不動明王という。
火炎の中に鷲が飛んでいる構図。やはり、
鷲の姿となった瀬織津姫を不動明王が守護している?
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空海の建立した鷲林寺はまた
六甲修験道のスタート地点という。↓若宮神社の近く
に、パノラマ、せせらぎ、両コースの標識があったが、
調べると、せせらぎコースを行くと六甲修験道に続く。
一説には、若宮神社の祭神は瀬織津姫という。
六甲修験道は、瀬織津姫の聖地を護る結界だったか。
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鷲林寺から観音(かんのん)道を歩いて下りる途中、
ほぼ東の方向に、神呪寺のある甲山が見えた。
ちなみに、六甲修験道の終着点は多聞寺。
その多聞寺は、六甲比命神社を奥宮とするという。
六甲山の東と西とに位置する真言宗の三寺。
三という聖数は、やはりオリオン星座が由来だろう。
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六甲山は、伊勢の伊雑宮と出雲大社を結ぶ線上
に位置する(大江幸久氏の六甲山資料より)という。

伊勢、六甲山、出雲。この三大聖地を繋いだラインに
ついて考え続けていたが、いまならそのことが分かる。

西の龍神から、東の太陽神へ、
つまり海の神から、天照大御神へ。
信仰改革の進んだ7〜8世紀に生きた僧侶たちは、
六甲山という砦で、封殺されゆく海神を庇護したのだ。 








by utoutou | 2016-09-02 23:11 | 瀬織津姫 | Trackback | Comments(0)
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