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六甲山と瀬織津姫 53 真名井神社

六甲山と丹後の関係を、姫=巫女=女性祭祀者
 に求めると、筆頭に真名井御前が挙げられる。

時代は「丹後の姫たち」が武庫の地に来てから
かなり下るが、籠神社海部氏の娘に生まれ、その
奥宮と同名を授けられ(籠神社では真井御前と記す)
10歳から京都・六角堂で修行して空海と出会い、
淳和天皇の妃となるも出家して如意尼を名乗り、
甲山・神呪寺を建て自ら如意輪観音菩薩のモデルと
 なる…なんだかとても数奇な人生を辿った姫だった。

また「浦島太郎」との年代の一致を見ると、
真名井御前は、封じられた民が長く待ち望んだ
 霊力高き「丹後の姫」だったようにも思える。

年譜は以前「浦島太郎と玉手箱」に書いた通りで…
雄略22(478)年、豊受大神が、この元伊勢から
伊勢へと遷座したのと同年、浦島子(浦島太郎)
は龍宮へ行った(以上『日本書紀』)。そして、
347年後の天長2(825)年、浦島子が帰還した
その頃、真名井御前は神呪寺を創建。空海が、
浦嶋子の持ち帰った宝箱を如意輪観音像に隠した。

この隠された龍宮の宝箱が、語り部の視る
「龍宮(琉球)の「ぬぶし玉(宝珠)」なのか?
とすればなぜ、淳和天皇の世はそれを望んだのか?
などをつらつら考えるのが、丹後旅のテーマだ…。



まずは籠神社・奥宮の真名井神社へ。
主祭神・豊受大神。籠神社から徒歩15分、
背後の御神体山を目指して急いだが…ガク然。
3年前の秋とは違い「立ち入り禁止」となっていた。
拝殿横から正面には見えるが、手は届かない。
六甲山と瀬織津姫 53 真名井神社_a0300530_11194904.jpg



↑鈴なりの鈴の横に、案内書きがあった。
〜天に通ずる御生れ鈴
『丹後国風土記』や『古事記』『日本書紀』に
よれば、天橋立(天浮橋)は神々が天と地を交うため
 に造られた梯子(橋)であったと伝えられています。
その根元にある磐座は天に坐す神々に願いを伝える
特別神聖な祈りの場でありました。この御生れ鈴の
清らかな音色は磐座を通して参拝者の心を
天まで届けるものです。〜




↓御神体山(3年前の撮影)の前。いまは、
白石が敷き詰められ、遠くから拝するのみ。
六甲山と瀬織津姫 53 真名井神社_a0300530_11481098.jpg




こちらも3年前の真名井神社。奥へ一歩進むと、
神代の時空に浸る気がしたものだったが、残念。
六甲山と瀬織津姫 53 真名井神社_a0300530_11220089.jpg




この度は、写真に映る方たちと同じように、
塀から身を乗り出し、恨めし気に参拝した。
六甲山と瀬織津姫 53 真名井神社_a0300530_17495167.jpg



いまは、「古代祭祀場」のうち左側の
天照大神(男神?)の磐座をこうして覗く感じ。
右に映る建物は、真名井神社の拝殿。
六甲山と瀬織津姫 53 真名井神社_a0300530_11204156.jpg




真名井の霊水で磨かれ美しく育った厳子姫は、
20歳のとき、まだ皇太子だった後の淳和天皇に
みそめられて、第4の妃として迎えられたという。
こちら磐座に射す西陽(クドいようだが3年前の撮影)。
六甲山と瀬織津姫 53 真名井神社_a0300530_11394892.jpg




さて、いよいよ浦島神社へと出発。
籠神社の正面には「本宮御鎮座千三百年」と。
来る平成31年が、記念の年となるらしい。
六甲山と瀬織津姫 53 真名井神社_a0300530_11402134.jpg









by utoutou | 2016-09-20 22:38 | 瀬織津姫 | Trackback | Comments(1)
Commented by たぬき at 2016-09-21 15:42 x
姫ではなくて日女命。
これ自体がヒメとも読みますが、ヒルメの命(稚日女命(稚ヒルメ)=生田大神、、、天照皇大神稚(別)魂)と読むと特別な巫女さま(多分、神妻。玉依姫)の意味に成ります。
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