『日本書紀』に登場する菊理姫(くくりひめ)の 「くくり」の意味を、「聞き入れ」と解いたのは、 平田篤胤だった。※『日本書紀通釈』 火の神を生んで亡くなった伊奘冉尊を黄泉の国まで 追いかけた伊弉諾尊が、妻の変貌ぶりに驚いて逃亡、 怒って逆に夫を追いかけた伊奘冉尊と対峙する黄泉平坂 の場面に登場する菊理姫。二神を「仲裁」したことから 「女神の言葉を男神に聞き入れた」ことにちなむ神名だと。 だから、菊理姫=聞き入れる神=聞得大君なのか? と、ひとり推理したのは、3年前のことだった。 加賀一ノ宮 白山比咩神社(石川県白山市三宮町)の 祭神・菊理媛大神(白山比咩大神)は、「括りの神」 「縁結びの神」と由緒にあるが、当時、語り部は言った。 「菊理姫は、聞得大君の元になった女神だと思います」 琉球王朝の最高神官としての聞得大君というより、 ここで言うのは、『琉球国由来記』や『中山世鑑』の琉球 神話に登場する琉球の始祖・アマミキヨとシネリキヨ二神 の長女「聞得大君」を指す。とはいえ「菊理姫」と聞いた ときは、「まさか琉球と加賀の神が同じ?」と、首を傾げた。 しかし、六甲山や宗像へ参ったいまなら大いに理解できる。 六甲山頂にある「石の宝殿・白山の宮」 に参ったのは、昨年11月の岩倉巡りでのことだった。 拝殿で、「白山開山 1300年」のポスターを見た。 泰澄による開山(717年)から数えてのことらしい。 ![]() 六甲山神社は廣田神社の場外末社で、神功皇后が 三韓遠征で持ち帰った神石を納めたとの伝説が残る。 本殿は拝殿奥の石祠だが ↓この磐座が御神体という。 白山修験の山伏たちが霊山と崇めたことを物語る。 ![]() ↑石の宝殿は、越木岩神社の氏子らが建立したという。 ↓芦屋神社(西宮市芦屋)にも菊理姫が祀られている。 ![]() 菊理姫(白山姫)を祀る六甲山頂の近くに、古代の 六甲人が天御中主神を祀ったという三国岩がある。 時代を超えて天御中主神と菊理姫を一対神として祀ったのか。 ![]() 調べると、宗像にも白山神社がある。宗像大社から 5㎞東に坐す、若宮八幡宮(宗像市河東)の摂社だ。 『筑前国続風土記』に、白山神社(権現)は、 〜この神が坐す故に(山を)白山と号す〜 とあり、 かつては大きな神社だったことを伺わせる。 また同じく摂社に妙見社もあると、『宗像群誌』に。 「祭神は不詳」だが、一般に妙見とは天御中主神のこと。 ここにも、天御中主神と菊理姫が並んで坐している。 天御中主神を祀る摩利支天神社(宗像市東郷) の由緒には、こうある。〜往昔、 宗像大宮司代々崇敬の社ゆえに当群中央の地に鎮座 〜 現代の地図でも、市役所に至近。宗像市のド真ん中だ。 そう言えば、かつて語り部はこう言った。 「菊とは九九(くく)のことでもあり、北斗九星の要」 北極星+北斗七星+菊理姫で北斗九星となる、と。 北斗九星は、大嘗祭の悠紀殿に祀られた最強の星図。 そこで思い出すのは、 琉球王朝時代、聞得大君御殿に掛かっていた という「天御中主神と七人の日巫女」の掛け軸だ。 (焼失したが、同じ構図の掛け軸が首里の某拝所にある) 鎌倉芳太郎氏の記録では「弁財天の掛け軸」だったが、 あれこそは、「北斗九星の図」だったのかもしれない。 つまり、菊理姫とは、 琉球で、御星親加那志(みふしうやがなしー) と呼ばれた弁財天(瀬織津姫)だった。 亦名は御天母親加那志(うてぃんははうやがなしー)。 御天父親加那志こと天御中主神との一対神である。 宗像と琉球には、共通の「北斗九星」信仰があった? 白山信仰が、大陸から伽耶経由で伝わったものならば、 可能性は大いにあり得るのではないか…。 それを解く鍵は、『契丹古伝』に見ることができる。
by utoutou
| 2017-02-13 18:37
| 瀬織津姫
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