三宝なのか三つ巴かはともかく、琉球の珠は3つある。 それは久高島の三元家(ムトゥ家)各々の守護霊石 であり、祖神の御魂だが、そもそも神は「元ひとつ」。 その神とは龍神=海神=綿津見神。そして、 記紀によって「道案内の神」とされた猿田彦だと、 語り部が継ぐ「琉球神女(かみんちゅ)口伝」は言う。 つまり、龍宮こと久高島は「猿田彦の島」である。 三つ巴の珠のひとつはアカララキにあり、ひとつは 龍宮にあり、最後のひとつは島の北部にあるらしい。 御先(超古代)のとき、北部にはどんな一族がいたのか。 気づきのヒントを求めて、何度か呼ばれたあの海へ…。 ![]() ウパーマ浜は、久高島でもっとも広い砂浜と言われる が、ガイドブックにはあまり載らない謎多き聖地。 毎月の旧暦1日と15日、この周辺から北の区域は 観光客は立ち入り禁止となる。神事の内容も極秘だ。 島の東海岸には、南から、ピザ浜、タチ浜、イシキ浜、 シマーシ浜、といった数カ所の浜があるが、その最北。 北端のカベール岬、そこへ続く植物群落である カベール森(むい、↓写真左)への入口といった位置に。 ![]() 島全図(Google航空写真)で、ウパーマ浜に、 ↓赤で矢印を入れてみた。こうして俯瞰すると、 島の北部が文字通り「鰐」の顔に見えることを発見。 ウパーマ浜は、そのちょうど開いた口の部分にあたる。 民族学では「久高島は日本の原郷」と言われて久しく、 また「元ひとつ」の神の島が「鰐」の形だったとは…。 ![]() ちなみに南端のイラブーガマから続く龍宮(洞窟)は、 ↑ 島の中央を貫いて走る舗装道路(通称ナカミチ)の ほぼ真下を中心軸にして、広がっていたと思われる。 ![]() ![]() いっぽう、龍宮に坐す龍神は、イラブーガマが古来 久高ノロの管掌だったことからも、久高系である。 繰り返すが、綿津見神の子は猿田彦神と考えている。 さて、久高島の元家のうち、残る一軒は大里家だが、 こちらは大陸の民・東大神族(シウカラ=和邇族)と、 天孫氏王朝の末裔だと、「甦る古代琉球」で推理した。 天孫氏王朝ならば、始祖と崇めるのは「元ひとつ」の 神のはずだが、さて……。「甦る古代王朝」の神は、 天王ガナシーであり、「天地(あめつち)の大神様」。 ヤマト神話で言えばスサノオであり、猿田彦ではない。 いや、ひょっとすると スサノオこと「天地の大神様」こそが、猿田彦…?
by utoutou
| 2017-08-30 16:54
| 瀬織津姫
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