六甲山と瀬織津姫 149 天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊〈1〉

律令制成立前後、機内三国を治めた凡河内氏。その
祖は天御影命、始祖は天津彦根命。天穂日命もいる。
一族に二始祖神が存在する謎について語り部は言った。

「天津彦根命と天穂日命はともに古代の玉城と久高島に
 いたアマミキヨで、双子だったように私には視えます」

霊能力のない私は、いつもながら「まさか」と思った
が、あれこれと調べていて、似た所見に出会った。

本居宣長が『古事記伝』に記している(要約)。

〜『新撰姓氏録』に「土師宿禰は天穂日十二世の後}と、
また「凡河内寸忌は天穂日命十三世孫の後」とある
が、伝えが混乱したのは遠祖が兄弟だったためだ 〜

つまり、天津彦根命と天穂日命は兄弟だったのだと。
しかし、そんな神代の系譜を検討する術はあるのか?


などと戸惑った12月最初の週末、東京から日帰りで
大阪へ行き、磐船神社(大阪府交野市私市)に参拝。
祭神は、天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊。

凡河内直などの祖・天御影命は、河内川上の
哮ヶ峯(いかるがのみね)に天降った饒速日命に
供奉した防衛32人の一人と『先代旧事本紀』は記す。
その哮ヶ峯に、一度足を踏み入れたいと思っていた。

後に神武天皇に帰順した饒速日命は、それゆえ
紛れもなく初代王だったわけで、その降臨地へイザ。
それで何が分かるのかは予想もつかなかったが、
極めてハードと噂の「石窟巡り」にも初挑戦したい。
 転落事故で閉鎖されてから3年、最近再開したという。


新大阪から交野市へは電車で50分。
交野(かたの)市の地名は、「肩野物部」に依る。
饒速日命の降臨に兵杖を帯びて供奉した25人の一人。
最寄駅は私市だが、レンタカー店は交野市駅前のみ。
車で20分走ると哮ヶ峯の麓に着いた。登山客多し。
a0300530_17563116.jpg





御神体は巨大な天の磐船石。なぜこの地に降臨した?
という問いへの答えを、神社の由緒はこう記している。
〜太古、淀川は枚方(シラノカタ津)付近まで入江と
なっており、大和に入るには当時、哮ヶ峯の麓を
流れる天野川を遡りつつ大和に入るのが至便だった
と考えられます 〜 
a0300530_15343016.jpg

神体の巨岩を横から。まさに磐船の舳先のようだ。
a0300530_17504116.jpg





饒速日命一行が遡ったという、神社近くの天野川。
生駒山を水源に交野市と枚方市を北流して淀川に注ぐ。
肩野物部氏はこの川の流域で米作りを始めたらしい。
物部の里らしく、星田妙見など星にちなむ聖地も点在。
交野市は「七夕伝説発祥の地」となっている。
a0300530_16533302.jpg




天野川トンネルのある「磐船狭」は錦秋の彩り。
河岸の公園は週末の散歩を楽しむ人でいっぱい。
a0300530_16534590.jpg




ところで、
河岸の道路は観光客の車が並び、神社に参拝する
トレッキングのグループも多かったが、岩窟巡りする
 人は決して多くはない。聞くところ参拝客の1割程度。

単独での岩窟入りは禁止ということで、事前連絡して
 同行をお願いしていたが、その難易度は予想を超えた。

社務所で入山申し込みを済ませて持ち物をすべて預け、
白い襷を渡されたまでは、そんな大仰な…と思ったが、
同行してくれる神社の方は、私の靴を見て言った。

「その靴では危険ですよ」と。
私は、履いていた平底のブーツを指差した。
「沖縄の磐座や洞穴をこれで歩いてきたので大丈夫です」

ところが、まったく大丈夫ではなかったのである。
岩底を流れる天野川が、岩々の肌を濡らしていた。
琉球石灰岩は凸凹があって手足を引っかけやすいが、
ここでは巨岩の岩肌のほとんどすべてが、修験の人々
 の手で磨耗したのか、ツルツルして掴み所がなかった。



岩窟内部は撮影禁止なので、外から岩窟を見る。
例えば右にあるような岩に登り、左下に見えるような
小穴を潜り抜ける。進路は矢印で示されるが超ハード。
a0300530_17455216.jpg

進むも地獄、戻るも地獄の河内国河上哮ヶ峯岩窟。
 なんとか生還した岩窟巡りの様子は、次回に…。





by utoutou | 2017-12-14 11:54 | 瀬織津姫 | Trackback | Comments(0)
トラックバックURL : https://mintun.exblog.jp/tb/238075192
トラックバックする(会員専用) [ヘルプ]
※このブログはトラックバック承認制を適用しています。 ブログの持ち主が承認するまでトラックバックは表示されません。
<< 六甲山と瀬織津姫 150 天照... 六甲山と瀬織津姫 148 みん... >>