六甲山と瀬織津姫 156 三室山は縄文の神山

三室山(標高137m)は龍田大社(奈良県三郷町)
の神南備山だが、もうひとつの三室山(標高82m)
も、東隣の斑鳩町に鎮座する龍田神社の神南備山。

その距離、わずか4㎞。どちらが本来の三室山か
といった本家争いが続いているというが、はたして?

龍田大社の神域と言われる三郷町立野の三室山は、
生駒山脈の最南端部分を竜田山の一部を指している。
↓ 写真は、JR大和路快速で三郷駅から大阪天王寺
へ戻る車中、次の河内堅上駅の手前、大和川に架かる
端の上から撮ったものだが、写真右手方向が三室山。
写真前方は、大和川の難所・亀の瀬の地すべり地帯。
a0300530_10295785.jpg




いっぽう、もうひとつの三室山は斑鳩町神南に。
毎日新聞「見聞 竜田古道」の記事から地図を拝借、
赤丸で斑鳩町の三室山を加筆させていただいた。こちら
の三室山を神奈備山と仰ぐ龍田神社はその東北に鎮座。
a0300530_09582257.png




実は龍田大社に参拝した当初、近隣に二ヶ所の三室山
がなぜあるのかを謎と感じたものだったが、いま
その意味を深めると、さほど不思議とも思わなくなった。


龍田大社の境外摂社・神南備神社の登り口
その傍に「神奈備」について解いた説明板があった。
a0300530_08465752.jpg




〜 神奈備神社
神奈備山は龍田大社の摂社で、神奈備とは、
神が住む森という意味である。神奈備、神名備、神名火
の文字が使われているが、どれも「かんなび」と読む。
山が平地に接する端山にある。〜
a0300530_08521648.jpg




この摂社は、古くは三室山の麓に鎮座していたという。
思うに、三室山とは神奈備山であり、沖縄でいう御嶽。
本島で「ウガン山」「ムイ」、宮古諸島で「スク」、
八重山諸島で「オン」と呼ばれる「神の坐す山」なのだ。

神南備山のことを、大和神話では三輪山と呼ぶが、
人々は「ミムロ神の坐す山」「御諸山」と呼んだ。
いずれにしろ 〜 我をば倭の東の山の上にいつき祀れ 、
此は御諸の山上に坐す神 なり〜(古事記)と宣った
その神とは、縄文からの先住民が崇めた神・大物主。

語り部はかねてから言っていたものだ。
「国津神・天津神と呼ばれる神々が大和に来る前に、
この島々には天津神がいたと思います」

ふたつの三室山も大物主の神奈備山だったと思われる。
数えてみれば、日本各地には三室山が30ヶ所余りある。
例えば、3年前に参った酒折宮(山梨県甲府市)
の神南備山は、いまも三室山と呼ばれている。

また、例えば、
埼玉県北西に坐す金鑽神社には社殿はなく、背後の
 御室山を拝する三輪山(御諸山)と同じ信仰が残る。

 共通する神祭りは、太陽信仰ではない「御嶽信仰」。
なぜなら、どの三室山も太陽の昇る方向とは無関係だ。

ミムロ神の神格について、郷土史家・田中八郎氏は、
その著『大和朝廷と神々』に、こう記している。
(要約)
☆ミムロ神は人祖と考えられた「火の神」である。
☆御諸山には、特に太陽信仰の実態がなかった。
☆大和王権は三輪山頂に日向(高宮)神社を造り、
伊勢の天照大神を祀る日神祭祀を始めた。

そうだったのか…と思い当たるのが、河内に坐す
いくつかの古社に建てられている「遥拝所」だ。


他でもない龍田大社にも、社殿や三室山とは逆の
伊勢神宮(東)を向いた遥拝所の石碑が建っており、
神奈備信仰と太陽信仰のダブルスタンダードが窺える。
a0300530_11114992.jpg



縄文の女神・瀬織津姫は、決して日(太陽)神
だけを祀ったのではなく、太陽・月・星、
あるいは日・火・霊というすべての天神を祭祀する
霊力(しじ)高い全能の巫女だったのだろうと思う。

「原初の勾玉は、三つ巴ではなく球形だった」
という語り部の口伝を、いま改めて噛み締めている。
ゆえに、弁財天に身を変えた瀬織津姫が手にしていた
三宝宝珠は、球形をしていたのではなかったかと…。





by utoutou | 2018-01-22 09:46 | 瀬織津姫 | Trackback | Comments(0)
トラックバックURL : https://mintun.exblog.jp/tb/238218123
トラックバックする(会員専用) [ヘルプ]
※このブログはトラックバック承認制を適用しています。 ブログの持ち主が承認するまでトラックバックは表示されません。
<< 六甲山と瀬織津姫 157 空... 六甲山と瀬織津姫 155 イカ... >>