六甲山と瀬織津姫 157 空海の如意宝珠

琉球でいう御嶽。神の降りる山・三室山。
御室山、室山、室根山など、転化した地名は多いが、
いずれも三輪山こと御諸山(みもろやま、みむろやま)
と同様に大物主神(ミムロ神)の坐す聖山を指すようだ。

大物主神の霊を継いだ神(首長)が饒速日命と捉え、
そのことを書いた(記事は こちら)こともあった。
三室山に坐す神を祖と崇めたのは、物部氏、また、
饒速日命と同時に天降ったと言われる海人族の諸氏と
考えられるので、斑鳩の周辺に三室山が複数あるのは
当然のこと。そして、三輪山(御諸山)の東方にも…。


室生山である。麓に室生寺(宇陀市室生)がある。
↓ 雪の室生寺・金堂。※All Aboutサイトより拝借。
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室生寺公式サイトに、ミムロ山の解説が載っている。
(要約)
☆室生は室・牟漏とも書き、土地の人はムロと読む。
☆ムロとはミムロという神の坐す山のことで、大和
でもっとも知られたミムロ山は、円錐形の三輪山。
☆室生山も円錐形の神山で、奈良時代末期に皇太子
の山部親王(後の桓武天皇)の病気平癒のために
僧侶らが祈祷すると治癒したので、朝廷の命により
興福寺の僧・賢憧が室生寺を建立した。
※山部親王の時代とは、宝亀年間(770〜781年)


つまり、この地には、室生寺が創建される以前から、
室生山への信仰が根づいていたわけだった。一説に、
山部親王の回復は、この地の龍神の力によるというから、
室生川近くの龍穴(龍穴神社)に棲むという龍神の霊験か。

さて、室生寺に
所縁深いと言えば、弘法大師 空海(774〜835年)。
唐で密教を学び帰国した空海は、816年、高野山に
金剛峰寺を建立。823年、京都に東寺を建立した。


こちらは弘法大師空海上人の修行像(四天王寺)。
黙礼する参詣客が絶えない。昨秋参拝した折に撮影。
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また空海は、室生寺近くの如意山に、唐の時代に師と
仰いだ恵果阿闍梨より戴いた如意宝珠を埋めたという。
そのことは、京都・東寺に残された空海の遺言状
『遺告二十五箇条』の第二十四条に記されている。

室生寺に関連するリアルなくだりを抜粋すると…。

〜 (如意宝珠を埋めた場所は)いわゆる精進峰。
土心水師が修行した山の洞穴の東の峰なり。
ゆめゆめ、後人にその処を知らしむることなかれ 〜

文中の「土心水師」とは、空海の高弟・堅恵とされ、
室生寺の南門に仏隆寺を創建した僧侶。空海が如意
宝珠を隠した「精進峰」とは、現在の如意山という。

その如意宝珠は、なんと埋蔵以来、千年以上も経った
昭和21(1946)年、まさに如意山から発掘された。
如意山頂上に立つ石造納経塔の調査をしたところ、
琥珀玉や巻物や当時の和同開珎が見つかったという。

千年の眠りから覚めた琥珀玉、空海の如意宝珠。
なぜ琥珀玉なのか、そこには大きな謎が隠れている
ように思われるが、ともかくその珠は埋め戻された。

空海がなぜ、金剛峰寺や東寺ではなく、この室生寺に
師・恵果阿闍梨から授かった如意宝珠を埋めたのか?


室生寺奥の院に秘蔵される如意宝珠曼荼羅(掛軸)。
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そこには空海の出自が関わっていると思えてならない。
空海の母方の祖は阿刀氏で、天降りした饒速日命に
船長として従った天津羽原(あまつはばら)とされる。
空海にとって室生山は、祖霊の坐す聖山だったのでは?
つづく…・











by utoutou | 2018-01-29 09:10 | 瀬織津姫 | Trackback | Comments(0)
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